What is Conventional Beauty? - 洗脳された美しさの定義

 
大昔、ハリウッドが創り出した美しさの定義はもう時代錯誤も甚だしい。大体、ハリウッド映画なんて毎年95%以上の作品が駄作。トロントの街を歩いていても、もう白人社会というイメージが存在しないのに、TVや映画にそれが反映されていない違和感はさらにテレビ離れを煽っているように感じる。トロントにアジアフィルムフェスティバルがあるのもその思いを反映していると聞いた。

カナダに暮らしていて、時々日本に行ったりすると、日本には綺麗な人が多いと思う。ちょっとだけ綺麗というのではなく、かなり綺麗だなあ思わせる人が多い。ところが、話をしてみると、東洋人よりも、白人のほうが綺麗だと思うという話を何度も聞かされたりする。理由を聞いてみると、白人のほうが顔が小さくて、手足が長いとか。挙句には白人と日本人のハーフの赤ちゃんが一番かわいいなどという話まで出てくる。一体いつの時代の話をしているのだろう。内心唖然として言葉を失う。

21世紀に、未だに人の美しさの定義まで、洗脳されたままの先進国社会があっていいのか。日本人でも顔が小さくて、足の長い人はたくさんいる。勿論、白人にも顔が大きくて足の短い人なんていくらでもいる。このこと自体既に洗脳を感じる。Beauty is in the eye of the beholder. 何が自分にとって美しいかなんて、個人によって違って当然であって、Conventional Beauty (90%の人が美しいと感じる人の美しさ)を定義しようとすること自体意味を失っているように思うのは自分だけなのか。

実際、ハリウッドは現状白人が大多数を占めているから、まるで白人が綺麗みたいに見えているが、この状況が例えば一変して、ハリウッドの99%が東洋人あるいは黒人が占めているとしたら、どういう状況になるか。言うまでもなく、大多数を占めている人種が一番綺麗だというイメージをグローバル化させようとするだろう。これは本当に単純かつ時代によって変わりやすい真実だということを、理解できない人が多いのには驚く。

ニューヨークタイムズで日本が、ほぼ半年に一回かわるトレンドを追い続けるファッションコンシャスな文化を持つ国と言われていたのを思い出す。みんなと同じファッションじゃないと気がすまないトレンドは理解できる。でも、みんながあの人が好きだから、私も、僕もじゃ、うーん? メディアによる洗脳がかなり影響していることは察するが、この21世紀に民主主義の原理が美しさの定義にまで適用される必要はないはずだ。

大体、アメリカだけでなくカナダを含めた北米の大きな社会問題の一つに肥満の問題が浮上している。アメリカの大都市、例えば、ニューヨークのマンハッタンに行っても、ハリウッドのイメージなんてかけらも見ることはできない。目に入るのは肥満に悩む人の群れが衰退するアメリカを象徴するかのようにせわしく、大声で話しながら、不格好に行き来する姿だ。

まだ洗脳されていない日本の子供たちには、できれば周りに影響されずに、純粋に他の誰でもなく、自分自身が好きだから、好きと言えるように育ってほしい。美しさの定義は自分らしさが一番重要なはず。Conventional Beautyという概念はメディアが創り出す誇大広告にすぎない。

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