“Stand Your Ground” is to blame? – 拳銃も、法律も人を殺したりはしない

 
2月26日“Stand Your Ground”という正当防衛を簡単に認めてしまう法律が存在するフロリダである悲劇的事件が起こった。

Trayvon Martinという17歳の黒人少年がコンビニに買い物に行った帰りに、近所の自警ボランティアのリーダーを務める28歳ヒスパニック系のGeorge Zimmermansに後をつけられ、口論の末に射殺されるという事件だった。

ところが殺人事件だったのにもかかわらず、地元警察は全くの捜査なしで、これを正当防衛として簡単に片づけてしまった。この警察側の信じられない対応に全米で抗議運動がおこり、オバマ大統領までコメントするなど、真相究明に向けての本格的な捜査が始まった。

捜査が難航する中で、メディアは、事件の目撃者達の証言内容に矛盾点があることを指摘したり、黒人に対する人種差別によるヘイトクライムの可能性を示唆したり、警察側の対応の杜撰さを批判したり、正当防衛が簡単に認められてしまう“Stand Your Ground”法に対する見直しを求める一般の人々からのコメントをなど伝えるなど、必死にメディアとしての役目を果たそうとしているのはよくわかる。

ただ、今回の事件に関する限り、今週、第二級謀殺で起訴されたのに対して、被告側は未だに正当防衛を主張するつもりのようだ。現在まで明らかになっている情報だけでも、正当防衛を主張することに無理があるのがなぜ分からないのか理解に苦しむ。

911のオペレーターの指示に従わずに、Martinの後を追って行ったGeorge、口論になってどちらが先に手を出したかは問題ではないはずだ。追わなければ、今回の事件は起こらなかったのだから。まして、Martinが拳銃を突きつけて、他の第三者に危害を加えようとしていたわけでもなく、強盗に入ろうとしていたわけでもないのは明らかだ。実際、射殺された時、Martinが持っていたのはキャンディーとアイスティーだったという。自分で第三者に対して攻撃を仕掛けておきながら、自分の身を守るために射殺したのを正当防衛とよく言えたものだ。

警察側の対応にも驚く、Georgeには犯罪歴がないから、正当防衛。メディでも両人の過去について報道しているが、過去に犯罪歴がなかったら誰でも人を殺して、正当防衛を認めてもらえるのか。もしそうなら、一生に一度は人を殺しても無罪放免だと公言しているのと変わらない。息子が殺されて泣き崩れる父親にそんな説明しかできない警察がアメリカには存在するのか。オバマ大統領が憤慨するのも無理はない。

今回の悲劇の背景には、“Stand Your Ground”法が物語るフロリダの治安の現状とそれを改善しようとして頑張っている自警ボランティアの姿がある。今回の事件を人種差別とか、警察の対応の杜撰さとか、武器使用や正当防衛を簡単に許してしまう法律のせいにはしてはいけないはずだ。法律や拳銃が人を殺すのではない。法の下に与えられた権利を濫用して過ちを犯しているのは人間自身であることを忘れてはいけない。

今回の事件で加害者が911オペレーターの指示を無視してまでMartinを追跡した理由は正直全く想像がつかないわけではない。人種差別にはとりわけ敏感なここトロントでさえ、日常生活の中で、危険な車の運転、街中での常識はずれなマナー、毎回同じ人種の顔が視界に入ってくると感じることが多いのは否定できない。これをいつもただの偶然だと思うのにも限界がある。

差別が始まるときには、かならず差別する側と差別される側双方がその原因をつくり出している。それを人種差別によるヘイトクライムと言っても何の解決にもならない。Martinの死を無駄にしないためにも、今回の事件が、有罪判決を受けるであろうGeorgeの過ちを責めるだけで終わってしまってはいけない。重要なのは、自警ボランティアがいらないフロリダをつくること。そのためには、誤解が生み出した憎しみや怒りを越えて、差別するアメリカと差別されるアメリカが互いに協調し合う努力をする必要があるはずだ。その協調が実現しない限り、今回の事件の真相究明も、根本にあるフロリダの治安改善という問題の解決には繋がらないような気がしてならない。

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