Warrantless Wiretapping – 本当に盗聴されているのは一体誰なのか?

 
5月21日(月)、“Warrantless Wiretapping Program”に関してACLU(American Civil Liberties Union)と米連邦政府との間で争われている係争中の訴訟が今年の秋ぐらいにアメリカ最高裁に持ち込まれるというニュースが流れた。

歴史を振り返ると、多くの人が争うことの醜さを世の中に伝道しようとしても、なぜか争いが絶えることはない。確かに、社会をできるだけ平和に近づけるために、複数の利益が衝突し争いが起こるのは避けては通れないプロセスなのかもしれない。

この”Warrantless Wiretapping Program”というのは、”アメリカから国外に向けての電話あるいは電子メールによる通信、あるいは国外からアメリカに向けての同様の通信について、捜査令状なしで盗聴行為ができる権利を情報機関に与える” という法案だった。2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ直後、テロ防止を目的にブッシュ大統領が提案し、2008年に修正案が出され、議会の批准を受けて法制化が実現した。そしてその約一時間後に、ACLU(American Civil Liberties Union)がこの法制化に対する異議申し立ての訴訟を起こした。

この訴訟は、ニューヨークの連邦判事が1度ACLU側の申し立てを却下し、その後ニューヨークの第2巡回控訴裁判所がそれを翻して現在に至っている。

次の最高裁での争点は、この捜査令状なしで盗聴行為が許されてしまう法律の違憲性を問うのではなく、原告側に訴訟を起こす権利自体があるか否かについて争われるという。

ビデオの中で、人権活動家やジャーナリストは、“彼らがインタビューする相手は機密保持が保障されなければ真実を語ってはくれない。この法律は簡単に濫用され、罪もない人々のプライバシーが侵害される”と主張する。

しかしながら、アメリカにとって一番大事なのは国民の安全を確保することなのか、それとも国民のプライバシーを保護することなのか、それとも世界で自由を束縛されて救済を待っている人たちに救いの手を差しのべることなのか。

ふと、あの2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以来、空港でのセキュリティーチェックが強化され、持ち込む荷物だけでなく、コートを脱いで、ベルトをはずして、靴まで脱がされ始めたことを思い出す。皆、テロ防止、人の命には代えられないと我慢するようになった。

だから、人命を救うためなら、プライバシーの侵害もある程度は許されるのだろうと、ブッシュ大統領の提案が認められた理由を理解する。ブッシュ大統領の意図はあくまでアメリカ国民の安全を確保することにあったはずだ。

アメリカは他国の問題に干渉して、正義の味方を演じて、人の恨みを買って、報復されて、政府が国民の命を守ろうとすると、また別の国民が自分の仕事が邪魔されていると文句を言う。罪もない人のプライバシーが侵害されていると文句を言う。

それじゃなぜ、空港でのあれだけ失礼なボディーチェックについて誰も文句を言わないのか。

それは誰もが何が一番大切かを認識しているからではないのか。

フランス語では自爆テロをKamikazeという日本語の神風特攻隊からきた言葉を使って表現することを思い出す。

自分の命の大切さを顧みようともしないテロリストから国民を守ろうとしている時に、どうして自分の仕事が邪魔されているとか、個人のプライバシーの保護の問題が仮にも最高裁で争われなければならないのか。

大体、何故テロリストがアメリカを狙っているかを、アメリカ連邦政府も、原告側もしっかり認識しているはずだ。アメリカ人として、アメリカが自ら引き起こしたことが原因でテロが起ころうとしている時に、空港であれだけ誰もが失礼なボディーチェックを我慢している時に、なぜ、国民の安全以外の利益を衝突させようとするのか、正直全く理解できない。

まして、こんな争いをこんなに公に話し合うことで一体どれだけ国民の安全が危険にさらされることになるのか、本当にアメリカ政府も、ACLUの人たちも分かっているのだろうか。

ロシアがあるいは中国がこんな形で自分たちのテロ対策について手の内を公に見せるだろうか。

国民の安全を確保するために、相反する利益を計りにかけるアメリカ最高裁。原告側も被告側も、こんな大事なことをあんなに大声で公に叫んで、テロリストが聞いていないとでも思っているのだろうか。

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