His Holiness by Gianluigi Nuzzi – ローマ教皇庁に響く堕落のつぶやき

 
宗教という言葉を聞いてすぐに思い出すのが高校の時に受けた聖書を使った宗教の授業。正直、カトリック系の私立の受験高校だったこともあって、子供ながらに「なんでまたこんな大学入試とは全く関係ないことをここまでやるのか。」と内心反発を感じたのを思い出す。

それから、初めて海外に留学する時に、或る人が外国に行ったら、宗教の話だけは避けた方がいいと言っていたのを思い出す。無神論者の自分にとってそれは確かに尤もな話だった。相手の目に一体どんな世界が映っているのかも分からず 、まるで子供に「サンタクロースなんていない。」と言うみたいに、「神様なんていない。」とは本当は言いたくても、言ってはいけないと思った。

実際に北米に暮らして、神を盲目的に信じて祈る人々の姿に、単に洗脳という言葉では説明しきれない何か恐ろしいものを感じたのを覚えている。

学生時代、歴史を学ぶ中で、宗教が語られた時、宗教は人間がどうやっても克服できない困難にぶつかって、助けを求められる人あるいは物あるいは手段がなくなってしまった時に、心の痛みを癒し、精神のバランスを保つために、神という架空の救世主を創り出したのだと勝手に理解していた。

今年の1月にイタリアのジャーナリストGianluigi Nuzziがローマ教皇庁( バチカン) のNo.2 大司教であるMonsignor Carlo Maria Viganoからローマ教皇に書かれた手紙の内容を報道した。教皇庁の絡む汚職事件を暴露したことによる異動の撤回を懇願する内容だったという。実際にMonsignor Carlo Maria Viganoはバチカンの現駐米大使になっている。

そして、5月下旬、Gianluigi NuzziがHis Holinessを出版し、さらに今まで公にされなかったローマ教皇庁内部の汚職の数々を暴露した。この著書の中では、とりわけ、バチカンNO.2の枢機卿、Tarcisio Bertoneの失脚を狙った、多くの不正事件の詳細が暴露されているという。

5月23日にはローマ教皇の執事Paolo Gabrieleが、ローマ教皇庁内部の機密情報を外部に漏洩した疑いで逮捕された。バチカン内の自宅宿舎にあってはいけないローマ教皇庁内部の極秘情報を含んだ書類が見つかったというもの。

この他にも、今年の3月19日(月)、バチカン銀行がJPモルガン銀行のイタリア支店に持っていた口座が解約された。原因は宗教団体がもつ免税特権を濫用したマネーロンダリングと詐欺の疑い。過去18か月の間に15億ユーロ(日本円にして1500億円)がこの口座を通して様々な国にあるバチカン銀行の口座に流れたと報告されている。

ローマ教皇庁のスキャンダルは、未成年に対する性的虐待をはじめ、公共事業入札価格の操作に関する疑惑、免税特権を利用したマネーロンダリング、イタリア政界との癒着、教皇庁内部の権力闘争に伴う機密情報の漏洩にいたるまで、数多くの不正事件が今までにも表面化している。とりわけ1月の文書流出事件では、メディアがVATILEAKSという造語まで創り出した。

つい最近、メディアを通して流れてきたニュースの中で、教皇の執事の許されざる漏洩行為、あるいはGianluigi Nuzziの出版行為を刑法上責められるべき罪としてバチカン側が必死に叱責する姿が哀れに見えた。

なぜなら、問題は、誰が漏洩したかでも、何を漏洩したかでもなく、漏洩された情報の真偽にあるはずだ。もし情報が真実であれば、漏洩者の意図が正当化され、法的に責められるべきなのは神に仕える身であるはずのローマ教皇庁側。

ここで宗教を否定するつもりも、まして、神の存在について議論するつもりも毛頭ない。

しかしながら、宗教だからと言って、免税権等の特権が与えられても、免罪符は与えられていないはずだ。

性的虐待、汚職、マネーロンダリング、政界癒着、権力闘争、機密情報の漏洩、この連想ゲームの答えがローマ教皇庁だとしたら、憲法で保障されている信仰の自由に下に、この宗教団体が本当に神に仕えていると言えるのだろうか。

一瞬、本当に神に仕えているのは、逮捕されたローマ教皇の執事Paolo GabrieleやHis Holinessを出版したイタリアのジャーナリストGianluigi Nuzziではないのかという思いに駆られる。

世界的にカトリック教会を象徴するローマ教皇庁内部のスキャンダルがここまで公にされても、人々はまだ永遠に沈黙を守り続ける神の存在を信じて祈り続ける。

この尋常ではない宗教の洗脳力の強さに畏怖の念を抱くのは自分だけなのか。

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