トロントは日本ほどではないにしても、極めて安全な街だと自負している。少なくとも今まではそう信じ込んでいた。
今週7月5日(木)THE GLOBE AND MAILでトロントの西側にあるエトビコというエリアで起こった拳銃射殺事件のニュースが目に入ってきた。
この事件の犠牲者、20代と推定されている男性は5日の午前4時頃、ハイウェイ427号線のBurnhamthorpe 出口から東に向かうとすぐにぶつかるMeadowbank RoadとBurnamthorpe Roadの交差点近くで死体で発見された。
警察側からの報告によれば、今年に入って、これで殺人事件の件数が26件、去年のこの時期までに起こった件数と同数に達したという。
このうち拳銃による射殺事件は16件で、去年の14件と比較すると2件増えている。
犠牲者が出なかった乱射事件を含めると事件数は去年の102件から132件まで増えているという。
以前にもまして、よく目に入ってくるようになった 拳銃射殺という文脈での“Shooting” “Shot”という単語に妙な違和感を覚える。
25年前、自分が知っているトロントでは肥満や射殺事件をここまでビジュアルに感じることはなかった。
このエトビコの拳銃射殺事件は先月のイートンセンターとイタリア街での事件を合わせるとこの1カ月足らずの間にもう3件目ということになる。
先月のイートンセンタ-での事件後すぐに拳銃所持の禁止、銃弾所持の禁止をあらためて問題にしようとする声が上がった。相変わらず的外れの世間からの抗議に、警察側は「拳銃は既に連邦法の下で制限された武器として分類されている。カナダでは拳銃の規制はしっかり機能している。拳銃所持の規制をこれ以上厳しくしても、拳銃射殺事件はなくならない。」と訴える。
この見解に関する限り、警察側の状況把握に間違いはない。
拳銃をもって、殺人を企てる人間が法律を守ったりはしない。拳銃を是が非でも欲する人間はどんなに厳格に法律が拳銃所持を規制しようとしても、あらゆる手段に訴えて、入手しようとするに違いない。
メディアの報道によれば、イートンセンターで起こった拳銃射殺事件の犯人は婦女暴行罪で自宅監禁状態のはずだったという。つまり、この事件が起こった原因は、拳銃というよりは、犯罪者を監視している側に非があった可能性があるということだ。
拳銃は人を殺したりしない。拳銃を使って、人が人を傷つけていることを忘れてはいけない。
誰も拳銃を持たなければ、警察が拳銃を所持する必要もないはずだ。
世間の人達の多くは殺人が実行される最終シーンだけに注目して、短絡的な判断で問題を解決しようとする。それが簡単に安心できる方法だと信じているからなのか。勿論、そう思う瞬間だけはホッとできるに違いない。だから、全てを拳銃のせいにする。
どんなんに拳銃所持を連邦法で規制しても、拳銃が入手不可能な社会をつくらない限り、拳銃射殺事件は消えたりしない。
拳銃射殺事件に関して見過ごしがちな点は、原因は拳銃というよりは、人の心の中にあるということだ。満たされない思いが、時に怒りに変わる。ねたみに変わる。そして、殺意が生まれる。
だから、解決方法を求められると、警察も政治家も、そして世間も誰もが黙り込んでしまう。
つまり、人間が自ら武器を発明しておきながら、正当防衛のためと訴えながら、濫用されると武器を責めるのは全く道理に合わない。
社会が成長するとともに、人口が増え、精神的に病んだ人たちの数も同様に増えていく。人の心に殺意が生まれたところに、武器が存在すればそれを止めることができるはずもない。
全てが起きるべくして起こっているのにもかかわらず、まるで自分には関係ないという顔をする社会がある。
残念ながら未だに拳銃を責めようとする人たちに対しては、”You can’t have your cake and eat it, too”と言わざるをえない。