Define Friendship ! -  年をとって気づく友達づくりの難しさ

 
今週ニューヨークタイムズで30代以降の友達づくりの難しさについてつぶやいている記事が目にとまった。

最近はフェースブックをはじめとするソーシャルネットワークを使って、自分にはこんなにたくさん友達がいると自負する人が、ネット上に溢れている。

一体どんな関係にある人を友達と呼んでいるのだろうかと思う反面、これもインターネットが創り出したデジタル社会の新しい人間関係なのだと完結してしまう。

それにしても、街中で見知らぬ人と何の躊躇なく話をする北米でさえ友達ができなくて悩んでいる人が多いのかと思うと不思議な気がする。

記事の中でシカゴに住む女性がこんなコメントをしていてちょっと噴き出した。フェースブックで彼女には860人の友達がいて、ツイッターで500人のフォロワーがいるのにもかかわらず、自分の誕生日パーティに招待する人が足りなくて困っているという。世界中に友達を作れるようにしたはずのデジタル社会を皮肉るような現象だ。

地球が以前よりずっと小さくなったと感じさせる、インターネットやスマートフォンにも、一方通行ではすまない友人関係をつなぎ止めておくだけの力はないようだ。

学生時代、あの20代、あんなに簡単に友達ができていた時代があったと誰もが思い出す。

そして、あの時出会った人たちは一体今どこでどうしているのだろうか。なぜ友達ではなくなったのか。振り返る人も少なくないはずだ。

自然淘汰と言ってしまえばちょっとあっけない気もする。大学を卒業して、10年、20年、振り返ると、仕事、プライベート、趣味、どんな時間を過ごしたかで人の世界観、価値観は全く変わってしまう。

人がよく「年をとればとるほど友達を作るのが難しくなる。」と言ったりする。でもそれが驚くべきことだろうか。

記事の中にまたこんなコメントがあった。一般的に友達を作るのが難しいことに気がつくのは、転職、転勤、結婚、離婚といった人生の転機の直後に起こると言う。

一瞬そんな当たり前のことを書いてお金をもらっているのかとあきれる。

例えば、結婚して子供ができれば友達と過ごす時間などなくなる。キャリアを持っているカップルは家族で過ごす時間を見つけることさえ難しいのが現実なはずだ。そこに離婚とくれば、とたんに周りに誰もいなくなるのは考えるまでもない。そこで今までおざなりにされていた友達がまたとってつけたように友達になるというのも無理な話だ。勿論、その友達が同じような状況に置かれていれば話は別だが。

通常、どんな人間関係も長続きするかしないかは別にしても、共通部分をきっかけに始まる。だから、友達をつくろうとして 趣味に走って、”何とかサークル” に入ったりする人がいるわけだ。でもそれはただ単にきっかけであって、趣味という共通点以外に共通するものがなければ、その関係が長く続くかどうかはわからない。

学生時代に簡単に友達になれるのはまさにこのせいだ。義務教育を終えてまだ働いたこともない状態、学生というだけで、明らかに違う部分よりも共通する部分の方が多いことが話をする前から分かっている。勿論、それだけでは足りないから友情も長続きしなかったりする。

ところが30代、40代になってしまうと、一体どんな人生を生きてきたのか、どんな世界観、どんな価値観を持っているのか、お互いに想像もつかない中、気をつかった友情関係がなかなか前には進まない。ほとんどが疲れて途中で諦めてしまう。過去が長くなればなるほど、見知らぬ複数の人間がお互いを理解し合うという行為自体が現実性を失ってしまう。

友情を育てるのは年齢に関係なくそんなに簡単なタスクとは思えない。そして、ほとんどの場合、運に左右される場合が多いのも否定できない。

記事の中で解決方法としてある男性が自分でソーシャルネットワークを作って200人友達をつくって成功したという話が書かれてあったが、この人全然分かっていないという気がした。

少なくとも1つ言えるのは、年齢に関係なく、今現在、どんな形にしても、自分には「気が置けない友」が傍にいると言える人は、その関係を維持する努力を忘れないことだ。恋人や家族と比べ軽視されがちな友情という人間関係は、年をとればとるほどさらにその大切さを身にしみて感じる瞬間が増えてくる。

残念ながらとってつけたように友情は生まれたりしない。たとえ生まれたとしてもおそらく長続きしないのではないか。

ー生のうちに、もし1人でも「気が置けない友」ができたらラッキー、でももしできなくても人生はそんなに悪くないはずだと信じたい。

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