Bad luck doesn’t convince me! - 打ち止まない???に漂う悲しみの声

 
先週金曜日の真夜中、米Colorado州、Denver郊外のAuroraにある映画館内で起こった銃乱射事件。死者12人、負傷者59人を出したこの事件の犯人はコロラド大学の医学生James Holmes(24歳)ということが既に判明している。神経科学を専攻してPh.D. 候補とも言われていた極めて優秀な学生が突然6月に大学を辞めてしまう。今回の事件は入念に計画されていたと報道された。

約1年前にノルウェイで起こった乱射事件を彷彿されるこの銃乱射事件の犠牲者の中に、将来を有望視されていたスポーツキャスターのJessica Ghawiの名前が含まれていた。なぜ彼女の名前がこの事件発生と同時にカナダのニュースのトップに躍り出たかと言うと、彼女は先月TorontoのEaton Centreで死者2人、負傷者6人を出した拳銃乱射事件現場に居合わせたからだ。

ColoradoからバケーションでTorontoに住むボーイフレンドに会いに来ていた彼女は、事件が起こるほんの2分前にちょっと外の空気が吸いたくなってモールの外に出た。そして2分後、モール内から鳴り響く拳銃乱射の音と同時に悲鳴をあげながら外に流れ出る人の波を目の当たりにする。

間一髪でこのEaton Centreで起こった拳銃射殺事件を逃れたにもかかわらず、Coloradoに戻った彼女はそれから約1カ月後、Auroraの映画館で起こった銃乱射事件に巻き込まれて死亡した。

人はよく” Live like there is no tomorrow !”と言ったりする。問題の解決を回避して安心しようとするこの感情、最近は短絡的にそう思う瞬間が前よりも多くなっているような気がする。

そして先週はTorontoでも死者を出す拳銃乱射事件が3日間連続でニュースのトップに現れた。

ニュースに流れるJessica Ghawiのストーリーは彼女の不運の死を示唆する。犠牲者の死を皮肉な偶然の積み重なりとして前に進もうとする家族や友人がいる。

本当に不運の死だろうか。ただ単に運が悪かったと理解するしかないのか。

世界的に高まる経済不安が巻き起こす社会不安、あるいはデジタル社会が作り出す疎外感。人々の心がすさみ始めているのではないか。

ギャングやテロが原因の事件に加え、全くある意味、普通の医学部の学生が引き起こした今回のColorado州Denverで起こった銃乱射事件は、明らかに社会に潜む問題を顕在化させている。

TorontoのRob Ford市長が警察官の数を増やすために、Dalton Mcguinty州知事やSteven Harper首相に協力を求めているニュースが流れた。

警察を増して解決できる問題なのか。

もっと根本的な問題があるはずなのに、問題を簡単に解決できると信じて、的外れな対策を講じる。

殺人事件が多発し始めるのは循環的にやってくる景気後退とは話が違う。

社会が病気になっている。病名は分からないにしても、その症状がこんなにはっきり出ている。それなに、誰もそのことに気づこうともせずひたすら悲しみに暮れる。そして、怒りをぶつける相手もなく、悲しみに暮れる時、見つけようとしても見つからない答えに人々はただ立ちすくんでしまう。

ここで忘れてはいけないのは、人間の心に中にある怒りや心の傷は目に見えないことだ。だから、普通に見える周りの家族や友人それぞれがもっと気を配る必要がある。1人1人が自分にとって大切な人間が罪を犯す可能性を少しでも予見した時には、何らかの防止策を講じることに躊躇してはいけない。

James Holmesの友人、家族は彼の言動や行動の変化に全く気がつかなかったのだろうか。

Deleteボタンで世界中にある武器をワンクリックで取り除けたらと願う人がいる。

保険みたいな存在でしかない警察がこの問題の答えであってほしいと願う人もいる。

ビデオゲームや映画の中の乱射シーンがなくなれば解決できると信じる人もいる。

でもこの問題の本当の答えは、武器でも、警察でも、ビデオゲームでもなく、誰もが自分のすぐ隣にいる人にもっと目向けることから始まるような気がしてならない。

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