The Other Side Of Jimmy Savile -衝動が生み出す誤った価値観

 
11月10日、BBC のGeorge Entwisle会長は、人気報道番組Newsnightによる誤報の責任を取って辞任した。今回問題になっているNewsnightは、1980年代に保守党の閣僚であったAlistair McAlpineがNorth Walesにある児童福祉施設に保護されていたSteve Messham(当時13歳)を地元ホテルに連れ込んで数十回にわたって性的虐待を加えていたことを示唆する内容を報道した。

報道の中ではAlistair McAlpineという名前は明らかにされなかったものの、ネット上には報道とほぼ同時にその名前が広がった。ところが、すぐにこの情報が誤報であることが判明し、被害者のSteve Messhamは、誤報を認め謝罪している。

BBCはこれだけのスキャンダルを被害者にAlistair McAlpineの写真を見せて確認をとることすらしないで報道に踏み切ったのか。BBCの取材班が本当にそんな基本的なミスを犯したのか。

ちなみに、George Entwisleは会長に就任してからまだ2カ月しかたっていなかったのにもかかわらず、BBC トラストは、退職金として 彼の1年分の給与に相当するUS$750 万ドル(約6千万円)をGeorge Entwisle会長に支払ったことを認めている。多額の退職金が視聴料によって賄われることに対して批判の声が上がっているのは言うまでもない。

この性的虐待がらみのBBCスキャンダルは実は昨年末にまで遡る。

BBC人気司会者で昨年10月、84歳で死去したJimmy Savileが生前、少女約300人に性的虐待を加えていた疑惑が浮上。BBCの人気報道番組Newsnightの取材班がそれをかぎつけ昨年12月に放送を予定していた。

ところが、被害者が300人にも及ぶとされているにもかかわらず、警察側が「証拠不十分」という判断を下したためNewsnightは放映見送りを決定。今回辞任したGeorge Entwilse会長は当時テレビ部門の上層部の地位にあって、この事件に関して報道部が「今後もNewsnightの調査報道が続くなら、Jimmy Savileの功績をたたえる追悼番組をクリスマス放送するべきではない。」という意向を示していたことも彼はまちがいなく認識していた。

最終的にBBCはJimmy Savileの少女性的虐待疑惑を追及するニューズナイトの番組をキャンセル、その代わりにSavile氏の功績をたたえる追悼番組をクリスマスに放送した。

Jimmy Savileは1960年代以降、人気音楽番組「Top of the Pops」の司会を務め、エリザベス女王とローマ法王ヨハ ネ・パウロ2世からナイトの爵位を授与されている。引退後も慈善活動に専念するなど生前に成し遂げた功績は高く評価されている。

しかしながら、2007年と2008年にJimmy Savileに対する少女性的虐待疑惑が浮上した。「証拠不十分」という警察側の判断で疑惑が立ち消えになってしまったものの、その後被害者から届け出が相次いだという。

今後も独立調査委員会や下院でBBCの隠蔽疑惑は引き続き検証に向けて調査が続く模様。

今回のBBCの誤報事件は責任が厳しく追及されて当然だとは思いながらも、この事件が起きたあまりのタイミングの悪さに違和感を覚える。

もしかしたら、Jimmy Savileの少女性的虐待に関するNewsnight報道が昨年12月にキャンセルされて憤慨したBBC内部の人間の仕業なのか。あのBBCの取材班がこんな基本的なミスを犯すとは思えない。

それにしても、トップが辞めて何が解決されたというのか。これはBBC、あるいはイギリスだけに限らない。スケープゴート的に免罪符をつくりだすコンセプトはもう時代錯誤的アプローチとしか言いようがない。ミスを犯した人間に何らかの対策を講じるならまだしも、何も知らなかったと言い張るトップの人間を首にして何の解決になるというのか。

なぜJimmy Savileの300人にもおよぶ少女性的虐待を追求しようとする報道がキャンセルされてしまったのか。300人の被害者の存在を認識しながら、どうして証拠不十分などと言う判断が下されるのか。

1970年代のイギリスなら想像もつくが、21世紀の今日、しかも真実を追求するはずのあのBBCでこんなことが本当に起こるものなのか。

古びた価値観が引き起こした大きな誤解が無益な政治的後禍を生みだしてしまったとしか思えない。

Jimmy Savileが残した偉大な功績と彼が少女性的虐待を行った罪の間には因果関係は存在しない。

これは例えば、ドーピングで失格になるアスリートとは違う。この場合は薬を使わなければ記録が出なかったという明確な因果関係が存在する。

つまり、Jimmy Savileの功績は彼が犯した罪とは関係なく評価されて当然なのだ。そして、それとは全く別の尺度で小児性愛者であることを認識しながら、専門家の助けを求めず、それどころか自己が手にした権力を濫用して300人に及ぶ子供達に性的虐待を行った罪も同様に厳しく追及されて当然なのだ。

世界的にも認められた巨大メディアBBCが本当にすべきことは真実を人々に伝えることだけでなく、時代に即した人々の価値観をアップデートすること。とりわけ70年代から価値観がアップデートされずに今に至っている人々の再教育。

どんな状況においても過ちを隠すことなく、1人の人間が持つ光と影を正当に評価したり、罰したりできる体制を確立するとともに、過ちを責めることに終わらず、将来に向けての具体的な解決策を提示していく姿勢をこれからの時代を担うジャーナリストに伝えてほしい。

70年代80年代という時代が許してしまったJimmy Savilieの権利の濫用の悲劇を2度と繰り返してはいけない。

真実を伝えることに人生をかけたBBCのジャーナリストにそれを期待できないはずがない。

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