Depression hurts more than cancer -軽視されがちな人間の弱さ

 
最近のGlobalnews.caで鬱病をはじめとする精神病に関する報道があった。

病気が人間の精神に与えるダメージの大きさの比較について。医者が、世間が、誤解しがちな精神病の人間に与えるダメージの深刻さ、中でも怠け者扱いをされてしまう場合も多いと言われるこの鬱病は想像以上に多くの人の心にダメージを与えることが報道されていた。

現状、人間に与える精神的ダメージの大きさでは、鬱病、双極性障害、アルコール依存症、社会恐怖症と精神分裂症がトップ5に挙がっていて、これらの病気が与える精神的ダメージは癌が患者に与える精神的苦痛の大きさの1.5倍にも相当するという。鬱病にかかっていた人がインタービューにこう答えている。「あの時は毎日頭痛がして、ベッドから出られない日が何日も続いてどうしていいか分からなかった。医者に行って鬱病だと言われた時はとてもショックで、癌だと宣告された方がよっぽどましだと思った。それぐらい辛くてしょうがなかった。」

鬱病をはじめとする精神障害がダメージのトップにあがる原因は、ビジュアルに確認できるような怪我をしているわけでもない患者の辛さを、周りが理解できないことにある。そして、本人もなぜ自分が鬱状態に陥ってしまったのか分からず、恥ずかしくて周りにも言えない。医者に行ってもどこも悪いところはないという診断を受け、病状はさらに悪化していく。本当にどうしようない状態に達して初めて医者が治療を開始するか、間に合わず自殺に至ってしまうというのがありがちなシナリオのようだ。

鬱病は精神障害全体の3分の1を占め、中毒が原因で死亡する人の約88%がアルコール依存症だというレポートが含まれていた。

精神障害による病気の引き金になっているのは学校を変わったり、仕事を変わったり、また結婚あるいは離婚など、人生における転機が挙げられている。

ニュースの中で5人に1人が家族の中に精神病患者がいるというコメントをしていた。

ふと「やっぱり世間体があるから…」と結局、真実を語らない人々の姿が目に浮かぶ。

残念ながら人はひとりではそんなに強くなれない。それを各個人が認め、社会がしっかり認識する必要がある。例えば、アルコール依存症、人口の何パーセントかは必ず、アルコールに依存しやすい体質の人がいるはずだ。それは、喫煙、賭博など中毒性のあるものについても同様のことが言える。世の中で90%以上の人間が抗体を持っている場合は、持っていない数パーセントの少数派が精神的に弱いという烙印を押されてしまうのだ。

社会は個人に対して無意識に正当性を欠いた圧力をかけている。精神力の強さが美徳とされ、強くもないのに、外目には強く見せなければならない義務を負うと誰もが信じ込んでいる。

世の中の精神病を全て支持するつもりはない。しかしながら、アルコールにおぼれてしまう人、煙草がやめられない人、賭けごとで破産に至ってしまう人、私生活に与える影響の大小はあるにしても基本的には病気なのだ。

精神病患者の数、あるいは症状は、社会自体の病状を示唆していると社会が認識しない限り、誤った先入観によって社会の片隅に追いやられてしまう人達がやがて社会に何らかの悪影響を与えてしまうのは目に見ている。

その時責められるべきなのはその個人なのだろうか。何の対策も講じなかった社会の責任は永久に問われないまま忘れられてしまうのだろうか。

自分の弱さを正直に語れなければ傷ついた人間の心は快方には向かえない。

ビジュアルに確認できない心の傷は、患者本人にも快方に向かっているかどうかが分からない場合が多いはずだ。

Oprah WinfreyやDr. Philが見せる幸福な瞬間が続かない人生の現実、恥ずかしくても、しっかり問題と向きあって解決しようとする社会を既に確立した国もある。

21世紀、世間体に操作されない自己の弱さを素直に語れる社会のトレンドが、もっと世界に浸透してもおかしくないような気がする。

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