Come on, wake up! ‐大人の語学習得に近道なんてあるはずがない

 
ネット上に本当によく目にする短期間で英語が身につけられるとか、聞いているだけで身につくとかいうマーケティング文句。10歳前後の子供ならまだしも、20歳を過ぎた大人にそんなことが不可能なことは言語学的にも証明されているはずだ。勿論、ほんの数パーセントの非凡な人間にはそれが可能な場合もあるから、このマーケティング文句は詐欺罪に当たらないというのだろうか。

それにしても、「ユーザーがこんなにいます。」と言われてこんなに違和感を覚えさせるビジネスも珍しい。

明らかにこのマーケティング文句を真に受ける人がたくさんいることを証明している。

よく英語の勉強の仕方について聞く人がいる。「日本にいる限り、どんなにやってもあまり効果は期待できないでしょう。」と身近な友人にははっきり告げる。勿論海外で生活しただけで上手くなるとは限らないのも事実。

自分の知る限り、10歳前後に海外で数年時間を過ごした場合は別にして、英語に限らず第2外国語として他言語をちゃんとマスターしたと言える人は間違いなく想像を絶するような努力をしている。よくあの人は語学の才能があるからというのを聞くと、「この人何も分かっていない。」と言いたくなるが、勿論、そんなことを面と向かって言ったりはしない。

カナダでもケベックに育つ子供達は、英語とフランス語の両方を話すのはそんなに珍しくはない。勿論、その場合はフランス語訛り、正確にはケベックワ(ケベックのフランス語)訛りがあるのは極めて普通。でもこの場合言語習得にはほとんど努力を要していない。10歳前後の子供は勉強の仕方に関係なく、おかれた環境の中で自然に他言語を約1カ月で理解し、話し始める能力を備えている。

時折、トロントで英語を身につけるために“英語環境”を求めて苦労しながら働いている日本人学生の姿を見て驚く。「頑張ってください。」と言うべきなのだと思う反面、「英語を身につけるだけのためにこんなことまでしなければならないのか?」と内心叫んでしまう。勿論、面と向かってそんなことを言ったりはしない。

カナダに来て25年たって、確かに自分も昔どうしたら英語が上手くなるのだろうと、周りの英語が上手いと言われていた人達に聞いたことを思い出す。あの時は質問をしている相手が海外に留学してMBAを持っているとか、あるいは海外で長く生活していたというだけで勝手に英語が上手いのだと思い込んで話を聞いていた。

皆それぞれ自分の経験から自分の意見を他人に伝える。全て善意なわけで、それをここで批判するつもりは全くない。

振り返って痛感するのは、語学は子供なら簡単に身につくスポーツのようなものだと思う。大人になってしまうと身につけるのがとても困難になるスポーツのような気がする。言語能力を司る脳のトレーニングには一生懸命という言葉が越えられない壁が存在する。

ところが一生懸命努力すれば上手くなるという誇大広告に踊らされて、なかなか上手くならないからさらに努力する。それでも上手くならないところに、海外留学を終えてまるで英語をマスターしたかのように振る舞う人達が英語教育市場をさらに刺激する。どんな手段にしても、大人が海外で2,3年勉強しただけで英語をマスターできるはずがないのに、それが分からないから、できるのだと思い込んでしまう。

分からない人達が分かったような気になっている人達に相談して、なんとなく分かった気がしている中で、分からないまま無駄な時間を過ごしてしまう。そしてそれがビジネスになっていた時代があった。

でも1つだけ明らかなのは、苦労して英仏語を身に付けたこの意味のなさを痛感している自分がここにいること。そして、もしもう1度やり直すことができるなら、絶対にあんなことは繰り返さないとはっきり断言できることだ。

振り返ると、かつて日本語のアクセントを消してネイティブのように話すことが最終ゴールのように思った若かった頃の自分を思い出すと情けない気持ちで一杯になる。そして、実際に周りのカナダ人でさえ自分の国籍に気づかないレベルにまで訛りを消してしまったことに達成感を感じた一時期の自分を哀れにさえ感じる。

語学は所詮コミューンケーションの手段にすぎない。その手段を身につけるために何年もの時間を費やすのは決して賢明とは言えない。これは冗談じゃなく、本当にそんなことをしてはいけない。

カナダには訛りを持って英語を話す人は珍しくない。英語もフランス語も本当にアクセントなしで話している人は子供の頃に言語を身につけている場合がおそらく大半だろう。アジア系だけでなく、例えば、英語を母国語としないヨーロッパ系の人達も20歳を過ぎてカナダに移民している人たちは何十年たっても訛りは消えたりしない。ケベックのお笑い番組でもカナダの首相のフランス語の訛りを面白おかしく真似をして、お笑いのネタにしてしまうのもまさにこの事実を物語っている。つまり、大人になってからの第2外国語の習得は世界的に英語が苦手とされる日本人だけに限った問題ではない。

そして、もし今現在日本にいて子供にどうやって外国語を身につけさせたいかについて真剣に悩んでいる人がいたら、子供が10歳前後の時点で何らかの形で留学させることを推奨する。

勿論、この場合日本語を忘れてしまう可能性があるのは言うまでもない。子供が日本語を忘れないようにするのは親側に課せられた大きなタスクになる。

遅くとも高校留学、それを逃してしまったら、海外に行っても語学習得のプロセスを早めたり苦労しないで英語力を向上させるオプションなんてどこにも存在しない。たとえ多少プロセスを短くできたとしても、10歳前後の子供が英語を身につける速さとその容易さと比較して、大人が費やす時間の長さと費用、そしてこのプロセスに伴う苦労をどうやって正当化できるというのか。

この弱みに付け込んでビジネスをする業界には幻滅する。

誤った期待をさせて、大人になってから真剣にネイティブレベルの英語習得を目指して膨大な費用と時間を費やすことを強いて、英語が上手くなったと錯覚させるビジネスが成り立ってはいけない時代は既に来ている。

同様に、周りに英語ができると言っている人たちが果たしてどれだけできるのかも分からず、それに続こうとしてお金と時間を無駄にする行為にも歯止めをかけなければならない時期に来ているような気がする。

詐欺としか言いようのないマーケティング文句が伝える誇大広告に惑わされて、自分が欲するキャリアを得るために今本当にしなくてはいけないことを、自分以外の誰かに決めさせることだけはしないでほしい。

カナダに来て25年たった今、これから海外で10歳前後の子供に英語を身に着けさせようとしている人達にはその決断が決して間違っていないことを心から伝えたい。

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