No names of New Delhi rapists or victims? -迷走し続ける遅れたマインド


この1カ月、ほぼ毎日のように報道されるショッキングなニュースに不快感を覚える。

アメリカの乱射事件のショックからまだ抜け出せない人達が多い中、このニュースと争うかのように12月16日インドのNew Delhiの郊外を走るバスの中で起きた集団強姦事件。このニュースを読みながら嘔吐感に襲われる。

残虐な集団強姦事件とはいえ、この種の事件はインドでは珍しくない。インドの強姦事件と言えば、自分が知っているだけでも2年ぐらい前に14歳の少女が父親も含めた100人に強姦された事件や、去年の9月にも19歳の女の子が7人の男性にレイプされた後に焼身自殺、父親も殺虫剤を飲んで自殺したというニュースがBBCを通して流れていたのを思い出す。

この種の事件はおそらく、インドに限らず人口が膨らんでリーダーシップが欠如した他の多くの発展途上国でも日常茶飯事的に起きているにちがいない。ただそのニュースが表面化するか否かの違いに過ぎない。

インド社会では強姦された女性が被害者であるにも関わらず、忌み嫌われ村八分にされるという話を耳にしたことがある。また、インドでは電車の中で起こる強姦事件が珍しくないという。そして強姦事件を見ている周りの人間が被害にあっている女性を誰も助けたりはしないというのだ。

それにしてもインドのメディアの報道の仕方には唖然とさせられる。いや、インドの国民性や文化にも何か不気味なものを感じる。

今回の事件でも犠牲者の女性(23歳)の名前も、加害者6名の名前も報道しないインドのメディア。女性が残虐に暴行された事実をここまで表面的にしか報道しないメディアが今の情報化社会にまだ存在していたのか。

全く事件の真相を見せない報道。不思議なのは事件後何日たっても本当にそれ以上報道されないことだ。報道されているのはデモが起こっている話、加害者に対する裁判の話、インドの強姦事件がもう長い間日常茶飯事的になっていること。しかし、それが何故起きているかについては全く触れようともしない。まるで隠しようがない事実だけを伝えるかのように、一方的に、疑問が渦巻く報道を平気で続けるインドのメディア。

事件後犠牲者は腸の摘出手術を受けたという。

腸を摘出?

脳にもかなりの損傷があったという。

脳の損傷?

シンガポールの病院に移されたが、事件から13日たった12月29日治療中に死亡したという。

一体どうなっているのか。

そして女性の地位を問題にするデモが国中に広がる。

強姦事件が日常茶飯事的に起こっているのにもかかわらず、何故今デモが始まるのか。

この女性の相手の男性も暴行を受けているのに、何故女性の地位や保護の問題になるのか?

犠牲者は暴行が原因で死亡しているのだから、暴行殺人として、女性の地位ではなく、国家治安の悪さが問題になってデモが始まるべきではないのか。

バスの運転手がこの事件に関与していたと報道されている。バスの運転手がバスの中で起こっている集団レイプを止めずに加担してしまうバス?

一体どんなバスなのか?

今回の事件が表面化したのは、集団強姦事件が結果として暴行殺人事件になったことが世論を煽ったに違いない。ところが、殺人なのにもかかわらず、インド国民は強姦事件にすり替えて女性の保護を訴えようとする。

まるでこの犠牲の者の死を利用するかのようにデモ行進がさらに広がった。

これが既に病めるインドを象徴しているように感じる。

必死にデモ行進して女性の保護を訴えても、政府に一体何ができるというのか。

政府が法律を変えたとして、殺人に至る集団強姦事件のケースが減るとしても、強姦事件自体の数は減ったりしないはずだ。

なぜなら、社会のインフラが整備されていない発展途上国の無法地帯の死角はそんな簡単に消えたりはしない。一度死角に入った男女の関係は理性を失った強いものが弱いものを餌食にする世界。今のインドに本当にこの問題を解決できるすべがあるというのか。

インドの急成長の陰に潜む暗い影。超保守的な文化や国民性に起因しているとしか思えない遅れた価値観やマインドは、問題点を指摘することには敏感でもそれを解決する場面では自らの非を認めずに政府に矛先を向けてしまう。

正直今回の事件は発展途上国が未だに発展途上であり続ける所以を露呈していると言わざるを得ない。

よく言えば、どんなレベルにしてもこの種の事件を表面化させたことにインド社会の変革への兆しが見えていると言うべきなのかもしれない。

今回の事件にはアメリカの乱射事件に見られるような精神的に病んだ加害者の姿は見られない。

あるのはおそらく後悔も反省もしていない残虐な動物レベルのマインドしか持たない加害者。

そしてその動物レベルのマインドをつくりだしているのは、自分たち自身の中に深く根づいた遅れた価値観であることを認識しない人々のデモ行進。

インドの社会状況を見た時に、強姦について責められるべきなのはインド社会がつくりだした遅れた社会通念。問題は、電車の中で強姦されている現場にいながら見て見ぬふりをする国民性、犠牲者を焼身自殺にまで追い込み、犠牲者の名前をだしたら、その家族が忌み嫌われ自殺せざるを得ないような社会をつくりだしたインドの道徳教育にあるはずだ。

どんなに社会が進歩しても、強いものが弱いものを、有利な立場にある者が不利な立場にある者を餌食にしようとする人間の本能的行為を100%排除することはできない。

犯罪件数を減らす努力としてインドの人達が本当にしなければならないことは、子育てのプロセスで親があるいは周りの人間が子供に植えつけている価値観の原点に戻って、男女平等や人間の命の尊さについて改めてしっかり教育し直すこと。

そして、その努力と並行して、インド文化の根底にある強姦の犠牲者や犠牲者の家族を自殺に追い込むという体質を打破するための対策を早急に講じるべきではないのか。

それができなければ、国中でいくらデモ行進をして政府に女性の保護を訴えても、次の犠牲者の死体は今日もまたどこかでニュースにすらならずに葬られてしまうに違いない。

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