どうしても抑えられない思い - 日本社会の遅れた価値観

 
24年前、あそこまで自分を海外に駆り立てたものはいったい何だったんだろう。今でもそんなことを時々考えたりする。あの時代、一部上場企業を辞めて海外に留学するなどという行為は尋常な人間の考えることではなかった。「なんで人生を棒に振るようなことをするのか?」と思われたにちがいない。でもあの時自分には社会全体が悪い宗教にかかっているとしか思えなかった。いまだにそうかもしれないが、日本社会には典型的な幸せの定義みたいなものが存在する。受験戦争が大学で終わって、一部上場企業に就職して、結婚して、子供をつくり幸せな家庭をつくる。Sounds nice, but… 一方では十人十色ということわざがあるにもかかわらず、本音はやっぱり、すべて型にはめようとする。詰め込み教育に反対はしない、でも子供が本当に将来何をしたいのか、どんな選択肢があるのか、どんな可能性があるのか、それを教えることのできるインフラも人材も、日本には不足している。例えば18歳から22歳まで大学で法律を勉強して、卒業後22歳で一部上場企業に就職して3年働いたとする。25歳の時点で、やっぱりこれは自分がしたいことではなく、自分は何か他のことがしたい。こんなふうに思うことがどうして許されない社会を創り出したのか。大学で4年間法律を勉強したから、会社で3年経理にいたからといっても、残りの長い人生、それをベースにする必要なんてないはずだ。本当に自分がしたいことが18歳の子供にどうして分かるというのか。22歳で自分が一生していきたいことがどうして分かるのか。一度仕事をやめると、もうそれ以上の仕事が見つからない。そんなばかな話があるか。型にはまることが幸せだと洗脳する。幸せだと思っている人の多くが、実際には本人を幸せにしようとしているのではなく、自分の周りを幸せにしているだけなのにもかかわらず、そのことには誰も気づきもしない。これが悪い宗教じゃなかったら、一体何なのか?!こんな社会に疑問を感じずにはいられなかった。人生は、何をしたって、多かれ少なかれ後悔はつきもの。自分の人生は自分でコントロールしたい。周りの価値観に左右されずに自分が本当にしたいことをして生きていきたい。そんな思いがいつもあの頃の自分の心の中にはあったような気がする。

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