Corrupt ? Who isn’t ? – デジタルインフラが実現する直接民主主義


ここ数カ月間、カナダでは連邦政府レベルでMike Duffy上院議員、トロント市ではRob Ford市長が子供じみたいじめの標的にされ、メディアがその報道で視聴率を取ろうとする露骨な態度にうんざりした。

Nelson Mandelaの死に一瞬打ち消された感があったものの、世間は引き続き誘惑に負けた権力者いじめに忙しい。

この年末日本を訪れて、東京都知事の猪瀬知事が同様に標的にされている報道にさらにうんざりさせられた。

社会が成長して、人口が増えれば増えるほど、直接民主主義が難しいという観念の下に、市町村レベル、都府県レベル、州レベル、連邦レベルで政治家が生まれて、権力が集中し始める。そして、その周りにその権力の恩恵を目当てに群がる人々がいる。これが渦を巻くように幾つもの円を描いて広がると、その複数の渦は激しくぶつかりあいながら、あるものは消え、あるものはさらに勢いを増しながら、社会一杯に広がって行く。おそらく、その渦の一番外側に居る人々が比較的正常な倫理観を持ってメディアの報道にうなずいているのだろうか。そして、その一方で、政治家の周りに群がる人々はいつのまにか自らが汚職の共犯であることを都合よく忘れてしまう。

権力を握る者が誘惑に負けてしまう原則をしっかり認識していながら、自ら受けている恩恵を保つために、巧妙に汚職を隠し続ける政治家を責め立てることもなく、不器用に見つかってしまう政治家いじめに夢中になってしまう人々がいる。

この船は沈むと思った瞬間に手のひらを返したように、別の船に乗り換える日和見主義の人々。

ひたすら視聴率だけにこだわるメディア。

物事がどっちに転んでも得をするのはメディアとはいえ、純粋にジャーナリズムを追及している人が本当にいるのなら、誰が本当の悪者なのかをちゃんと教えてほしいものだ。

明らかに現行の政治体制はインフラがデジタル化の影響を強度に受けているにも関わらず、アップデートされないまま、すっかりウイルスに感染した状態で、凄まじい権力を持った人間がともすれば、比較的権力を濫用することに慣れていない政治家をボタン一つで削除できるインフラに変わっている。

思えば、社会はこの20年ぐらいの間にデジタル化の恩恵を受け、人々は実際には消化しきれない情報の氾濫の中にいるが、これに伴って必要不可欠な様々なインフラのアップデートにほとんど手をつけることができないでいる。いやおそらく人々の多くは、そのことに気づいてすらいないのだろう。グーグルが陰で大きな力を持ってしまったことがそのことを明確に示唆している。恐ろしい気がする。

ところが、この政治家いじめを排除する方法は皮肉にも、このデジタル社会の根幹となっているインターネットの力に頼らざるを得ない気がする。

解決方法は、権力を握ると人は汚職の誘惑に負けてしまうという原則をしっかり受け止めた上で、その原則をできるだけ回避して社会を機能させること。つまり、社会の政治体制を直接民主主義により近づけて行くこと。

インターネットがあれば、例えば社会の規模がどれだけ大きくなっても、従来不可能と思われていた直接民主主義にもっと近づけておかしくない。

この中では、政治家の役目は決定が必要な問題に関して、あくまで国民にできるだけわかりやすく説明すること。そして、このプロセスにこそメディアが介入すべきだ。彼らの役割は国民の政治に対する意識を高め、何を決めなければならないかについて国民全員に100%理解させること。とにかく、最終的な決断は全てインターネットを介した国民投票によるシステムを実現することではないのか。

すぐに100%実現不可能であっても、政治家から決定権を取り上げてしまえば、その恩恵を求めて群がる人々の動きにも歯止めがかけられるはずだ。同様に、渦ができなければ、人々の汚職に対する免疫力を高め正常な倫理観を保つことにも繋がるはずだ。

ここで最も大切なのは、直接民主主義が実現できるインフラが現代社会には既に存在していることを国民が認識して、そのインフラが一部の個人や企業に濫用されている現状を打破する必要があることだ。そして、何よりも必要なのは、国民がそれを欲すること。自分には関係ないなんて思っていたら、いつの間にか政治家の汚職どころか、グーグルに世界が支配されて、プラバシーという概念自体が社会から消えてしまうかもしれない時代が迫って来ている。

デジタル社会の有用性は巨大一企業の成長のために濫用される前に、まずは国民の利益に繋がる形でパブリックセクターの汚職を排除するために使われて当然のような気がしてならない。言うまでもなく、そのために必要不可欠なのは、従来オフリミットととされていた憲法を含む社会を規制する全ての法律が古ぼけてしまっていることを国民全員がしっかり受けとめて、変革を恐れないこと。

仮にアップデートして問題が起こってもすぐに修正するという柔軟なマインドセットを持たない限り、権力集中が当たり前の社会を変革することなんてできないはずだ。

繰り返すが、汚職に染まっていない政治家なんて存在しないのだ。デジタル社会が情報の流動性を極端に高めた結果、それを以前より容易にそしてより頻繁に表面化させているだけにすぎない。政治家を汚職に走らせている大きな原因の一つには、権力の集中に恩恵を求めて群がる人々の存在が挙げられる。勿論、メディアも教えてくれないその汚職の裏に隠れている悪意の権力者の存在も忘れてはいけない。結局はこの政治家いじめの後ろにも、政治家、世間、メディアのどこかに存在する一部の個人あるいはグループに権力が集中することによって起こる権力の濫用の問題が潜んでいる。

つまり、社会に求められているのは、政治家の汚職行為を責めることではなく、最初から汚職行為が存在しえない政治体制を確立させることではないのか。

それが実現できれば、税金の無駄遣いとしか思えない、こんなにも非生産的な政治家いじめ報道を耳にしなくて済む社会が必ずいつかやってくると信じたい。

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