Is this being naive or denial? - 反射的価値観が引き起こす誤算


今の世の中には、正しいものの考え方として、人が困っていれば無条件に助けるのが当然だという価値観が間違いなく存在する。とりわけ、カナダは、周りに困っている人がいたら、皆で協力して助けようとする優しい文化的一面を持っている。

ほぼ日常茶飯事的に、仕事をさせるとあんなにいい加減なところがあるのに、困っている人に救いの手を差し伸べる場面では、「へー?」とつぶやく瞬間が少なくない。

反射的価値観ともいえるこの感覚は、おそらく、世界のどこかで、自然災害の被害が出たり、内乱が勃発するたびに一番に干渉したがるアメリカにも、間違いなく根強く浸透した価値観のはずだ。そして、これが北米だけでなく、いわゆる世界標準的価値観になっているのも誰もが同意するところだと思う。

この「無条件に困っている人を助ける。」というまるで神様のお告げのような価値観の根底には、「この人は助けるべきだが、あの人は助けなくてもいい。」なんて絶対に言ってはいけないという概念が潜んでいる。つまり、半永久的に結果が出ないとしても、神のお告げに間違いはないと信じて、誰も、「無条件に困っている人を助けることが正しい。」という考え方と、差別という概念を秤にかけたりはしない。

最近、通勤途中、車のラジオから流れてきたCBCの中東に関するインタビュー番組の中で、インタビューを受けたある女性が、「私の反アラブ感情は、差別ではなく私の価値観だ。」とコメントした。ちょっとドキッとした。この女性は、ただ単に正直に自分の意見を述べていただけなのに、「それは差別ではなく価値観だ。」というコメントがしばらく耳から離れなかった。

そう言えば、シリア、イラク、イスラエルと中東のニュースがメディアで取り上げられなかった日なんて思いだせない。

シリアの話を聞かなくなったと思うや、6月にイラクでイスラム教スンニー派の過激派(ISIS)が勢力を伸ばすニュースがメディアをにぎわす。驚く間もなく、今度は、イスラエルとハマスの戦いが勃発して休戦を求める国際コミュニティーの努力もむなしく、事実上子供の喧嘩状態。メディアのスポットライトを独占する。そして、今度はイラクでまたISISがキリスト教信者に対して、改宗して法外な税金を払わなければ殺すというような行動に出ているニュースが流れる。イラクから既に軍を撤退させたオバマ大統領が空からの攻撃に訴えると発表する。

これらのニュースに反応して、カナダの各地でデモが繰り広げられる。イスラエル人をサポートする人たちがデモ行進、ちゃんと時間をおいてパレスチナ人をサポートする人たちがデモを繰り広げる。そして、イラクのキリスト教徒大虐殺を食い止めるための努力をするようカナダ政府に訴えるデモが始まる。

この中東が抱える問題は、地震や津波、ハリケーンといった自然災害で混乱に陥った国々を助けるのとはわけが違う。先天性の戦争中毒、永遠に癒されない怒りと憎しみを自らの文化の一部にしてしまっている人々がいる。まさに、“呪われた“という言葉しか見つからない宿命を感じさせる。

中東の国々が抱える政治的問題を直視して、国際コミュニティーが率先して移民受け入れを奨励した結果、今カナダには中東の国々から来た人たちによってつくられているコミュニティーがいくつも存在する。

一体この戦いはいつ始まったのだろう。きっと誰もが自問自答する瞬間があるはずだ。そして、一体いつ終わるのだろうと不安に駆られる瞬間があるはずだ。

人はよく、人の性格は、先天的な要素に大きく左右されるから、「人は基本的に変われない。」という人もいれば、「人は必ず変われる。」という人もいる。真理があるとも思えないこの超難題は、唯一統計だけが比較的客観性のある答えを出してくれる気がする。

テレビのニュースを通じて、世界にイラクで一体何が起こっているかを伝えて、必死に助けを請う女性がいた。この叫びに同感して、SNSを通じて彼女の声が世界中に広がっていくのか。

そして、ネット上では戦場の生々しい映像が配信される。

繰り返すが、中東が抱える問題は、自然災害で国民全員が救いの手を求めているのとは違う。問題を作り出している人たちは救いなんて求めていない。

実際にいくら先進国が軍事的援助を提供したとしても、統計が示唆する結果は、送り込まれた兵士たちの死に泣きくれる家族の姿、そして、世代を越えても消えない恨みが隙があれば世界各地で引き起こす自爆テロ行為の陰で泣きくれる人々の姿、犠牲者はさらに増加し、怒り、恨みはさらにつのっていく。そして全てが振り出しに戻ってまた戦争が始まる。ため息がでる。

ふと2012年のアメリカ大統領選で敗れたMitt Romney氏が言い放った政治資金集めのイベントでの爆弾発言を思い出した。「税金を払うほどお金を稼いでいない47%のアメリカ人は自分には投票せず、オバマに投票する」とか、「パレスチナ人は平和を望んでいない、中東問題は永遠に未解決のままになる。」といった発言。

彼のコメントはあの大統領選での敗北の理由としていまだに語り継がれている。

でも、不思議なのは、彼の言ったことは全て当たっている。

一瞬、思ってはいけないと思いながら、最初に助けなければ、もしかしたら犠牲者の数もテロの数も最小限に抑えられたのでないのかとひとり呟いてしまう。問題を作り出している人々がセラピーでも受けて自らの行いを悔い改める日が来ない限り、この問題は永遠に解決するとは思えない。

アメリカが、国連が、国際コミュニティーと言われる人たちが、必死に自分の価値観が正しいと信じて、中東にその価値観を無理やり受け入れさせようとする。何年たっても結果が出ない理由が決して自分たちにあるとは思わずに。

何百年たっても人の過ちを許そうする思いよりは、これを憎しみに変えて伝ようとする民族が争いを続けるところに、それを止めようとする国際コミュニティーが存在する。多分90%以上の人が国際コミュニティーの行動を肯定的に受け止めるのだろうか。

にもかかわらず、2014年もう半ばを過ぎている現在、中東のどこかの国が、メディアを賑わさない日があっただろうか。

それにしても、デモに訴えて助けを求める人たちは一体、誰に何をしろというのか。嵐の中にのまれた船に乗った人たちを助けるために、嵐の中に人を送って助けてくださいと言っているのと何が違うのか。

それどころか、そんなに助けたいという気持ちがあるなら、なぜ自分で戦場に向かって行くことをしないのか。

自分がなぜ祖国を捨てて他国に移民したのかその理由を考えたら、どうしてそんな不可能なタスクをまるで可能かのように他の誰かに期待するのか。

どんなに言っても永遠に変わらない人間の心を一番よく理解しているのは、デモをしている人たち自身のはずなのに。

反射的な価値観は、状況によっては「困っている人を助けるべきではない。」なんて誰にも言わせたりしない。

永遠に終わらない争いが生み出す消えない恨みや憎しみを前にして、CBCのインタビューに「私の反アラブ感情は、差別ではなく私の価値観だ。」と答えた女性の正直な思いが、世界が必要としている ”時には許されるべき差別” の概念を暗示している気がしてならなかった。

世界は今、差別という行為がもたらす肯定的な側面を、現実に即した形でもう一度見直してみる時期に来ているのかもしれない。

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