Survival Instinct - 忘れえぬ瞬間

 
トロントの某日本企業で駐在員として5年働いた後、あの時ちょうどハイテクブームにのってオタワにあるカナダで当時一番大きいPCアプリケーションソフトの会社に転職した。正直、特別キャリアで成功したいなどという思いはなかった。ただ、どんなに海外で働いていると言っても、日本の会社にいる限りは、日本人として手厚く保護されて、自分が本当に北米でどれだけのことができるのかは現実には試すことはできないといつも心のどこかで感じていた。この転職もヘッドハンティングの会社から3年かけて説得されて決めた。外目にはキャリアに賭ける日本人みたいに見えたかもしれない。でも実際は私生活で場所を変えて、全て忘れて、やり直したいという気持ちがあっただけなのだ。ところが、この選択が再び人生を大きく変えてしまった。

転職して初出勤の日、少し緊張しながらオフィスに向かった。本当にきれいなビルだと思ったのを覚えている。ところが、初日、いきなり、自分を雇った上司がその日付で首になったと言われた。新しい上司におまえはなんで雇われたのかと聞かれた。正直、唖然とした。トロントからオタワに引っ越してきて、新たなキャリアのスタートに胸を膨らませているところに、こんなことが起こるとは思わなかった。

雇ってくれた上司が、初日に首になり、2ヶ月後、6か月前から働き始めていた女性で同じチームのメンバーになるはずの担当者が体調を崩して、会社に出てこなくなった。結局彼女はそのまま戻ってこなかった。想像を絶する仕事の厳しさを予感した。

この会社では、社員全員が、最新スペックのウィンドウズのラップトップを持って働いていた。営業部は全員が絶え間なく国内外、出張をし続けていた。このファーストペースの会社には、最初から驚くことばかりだった。国際営業部を除く、国内営業のスタッフは男女ともに、モデル上がりではないかと言えるほど、外見で選らばれているように見えた。カナダは差別が許されないと言われながら、こんなに明確な差別が実際にはまかり通る。オタワの街を歩いてもふつうは見ないような美男美女がオフィスに来ると突然現れる。平気で、兄弟、従兄、親戚が雇われているのにもちょっと唖然。スタートアップ時に雇われたスタッフはほぼ宝くじに当たったのと同じ、数年後、ストックオプションでリタイヤ状態という話を何度も聞かされた。

文化の違いと言ってしまえば、それまでだが、仕事の仕方の違いには最初から圧倒された。勿論、ハイテクの最先端を行く会社であったのは言うまでもないのだが、当時、まだEmail自体あまり日常生活に浸透していない頃だった。毎日ものすごい数のメールとボイスメール、毎日のようにInformation Sessionが行われる。上司とか同僚とかがどうするかを教えてくれたりしない。テリトリーを渡された後は、会社を成長させるために自分でどうしたらいいかを考え、行動に移して結果を出す。大きな会社の中の子会社をまかされる形だ。確かにほとんど全ての裁量権を与えられ、なんでも好きなように進められる。ところが、結果が出なければすぐに首を切られる。正直、何度も土壇場に立たされて、その都度、解決策を自分で模索して、結果を出す。こんな毎日が永遠と続いた5年間だったような気がする。実際、入って1年も経たないうちに、周りに8人いた国際営業部アジアパシフィックディビジョンのメンバーのうち6人が首になった。日本企業でしか働いたことがなかった自分にとって、この現象はものすごい戸惑いを伴う経験だった。一時期、神経性の消化不良に悩まされた時期があったのを思い出す。

入社して3カ月もたたないうちに、初めての新製品の発表会のアレンジを依頼される。前任の担当者が働きすぎから来る過労でダウンしてしまった手前、自分ひとりで全てをハンドルするしかない状態になった。カナダの外務省と連携して日本のカナダ大使館での新製品発表会を計画した。上司からは一言、新製品の発表会、社長がくるから、もし発表会の会場をいっぱいにできなかったら、おまえは首だ。正直この時点で何が起こってももう動じない自分自身に驚いた。

新製品の発表会の1週間前、発表会の日にデモを見せるソフトの内容について説明を受ける。まだアルファ状態のソフトを3つ20分で見せろ。また無理なことを言っていると思いながらも、もう心配したりはしないと思っていた。この時もなぜか、自分はこの嫌がらせのようなタスクを必ずやり遂げられるとうい全く根拠のない自信があった。

発表会当日、20分のデモの終了と同時にソフトがハングった。誰も気がつかなかった。あの瞬間は多分一生忘れないと思う。

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