The Lesser of Two Evils…- 米大統領選に響く格差社会の叫び


1971年にリリースされたジョンレノンのImagineが帰宅途中の車のラジオから流れてきた。

Imagine there’s no countries It isn’t hard to do Nothing to kill or die for And no religion, too
Imagine all the people living life in peace…

You may say I’m a dreamer But I’m not the only one I hope someday you’ll join us And the world will be as one

ベトナム戦争を批判して、国境のない、宗教もない、争いが消えた平和な世界が、いつか必ずやってくると信じる思いを伝えようとしたこの曲がリリースされてから、もう45年が経ってしまったことを痛感させる瞬間があった。

環境問題活動家として知られるブリティッシュコロンビア大学名誉教授David Suzukiが、地球温暖化を止めることはもう不可能だとコメントする。

7月には、イギリスがEU離脱を選択した。

そして、米大統領選では、共和党候補Donald Trumpが、型破りの政治家ぶりで日々メディアを賑わしている。

そんな混乱にさらに油を注ぐように、相変わらずISISは世界各地で隙があれば、テロ活動に力を注ぎ、アメリカ国内の人種間での闘争は以前よりも頻繁にニュース番組を賑わすようになった。

今年に入ってカナダでも、日本出張中も、ほぼ24時間いつでもどこにいても時間があればSlingplayerでCNNにチャンネルを合わせてしまう自分がいた。

爆弾発言をするたびに人気が増して行くDonald Trumpの高飛車な態度に不思議と心地よさを感じながら、時差ボケで横になってしまう時でさえも、なぜかイヤホンは耳についたまま、オーディオから離れられない状態が普通になったていた。自分の生活には直接的には関係ないはずのこの米大統領選の行方が、エンディングが気になる映画を観ているかのようになぜか目が離せなかった。

昨年6月に米大統領選への出馬表明後、数々の暴言を吐きながら、メディアのおもちゃにされ、Saturday Night Liveの格好のネタにされながらも、世間の大方の予想を覆して、米大統領共和党予備選挙で事実上16人もの共和党候補を敗退させ、米大統領選挙における共和党候補指名を獲得したDonald Trump。間違いなくこの前代未聞の現象に、メディアや民主党支持者だけでなく、当の共和党全体が困惑の思いを隠せずにいたはずだ。

7月18日(月)の週に開かれた共和党のNational Convention、そして、その翌週に続いた民主党のNational Conventionとまるで人気のショーイベントを観覧するかのような雰囲気の中で、両党ともに完璧ともいえるプレゼンテーションを披露した。言葉の端々にアメリカは世界で一番と自画自賛する態度に、嫌悪感を覚える瞬間が少なからずあったにしても、これだけ多くの国民が政治に強い興味を持って、公に支持批判できる環境を作り出しているアメリカの強さを見せつけられた気がした。

9月26日(月)に行われたディベートも勿論、ホテルをいつもより遅くチェックアウトしてまでも、しっかり最後まで見ずにはいられなかった。なんでこんなおじいさんとおばあさんの討論会を夢中になって見入ってしまうのかとちょっと情けなさを感じながらも、CNNから目が離せなかった。

そして米大統領選挙を約一か月後に控えた10月7日(金)、Donald Traumpを”これでもかと”蹴落とそうとするビデオがメディアを通して流れた。水面下での醜い政治闘争を感じさせるこのビデオのリークにはちょっと許せいない気がした。

世間は完璧な人間などいないと口にしながら、なぜ政治家には完璧を求めるのか。いやなぜ完璧のふりをする政治家を支持するのか。Politically Correctという価値観がここまで結果を出さない状況が続いていも、もしかしたら、その価値観自体に誤りがあると人々は怖くて口にすることもできないでいる。少なくともDonald Trumpは、時にはPolitically Incorrectという価値観が社会には必要なことを国民に訴えようとしている。

まして人間は誰もが必ず光と影の部分を持ち合わせる。個人的にDonald Trumpを支持しているわけではないにしても、Donald Trumpの持つ光の部分は正当に評価されるべきだ。

10月9日(日)のタウンホール形式で行われた2度目のディベートの直後のポールの数字ではやはり、例の女性を卑下した発言が含まれたビデオリークの影響かDonald Trumpの支持率が落ち込んだ。

そしてここまでタイミングよくこんなスキャンダルが表面化するものなのかと思わせるように、Donald Trumpから性的に不適切な行為を強いられたという女性が声を上げ始めている。

それにしても、CNNに毎日のように顔を出すキャスターだけでなく、両党の支持者の言い合いが続く中で、民主党支持者だけでなく、メディア全体がDonald Trumpを支持しない態度を露骨に前面に出しているのには違和感を感じる。Donald Trumpがどんなに爆弾発言をしようとメディア自体は、基本的に中立の立場をとって、両党のコメントをバイアスなしで伝えるのが彼らの役目ではないのか。

いずれにしても、Donald Trumpを蹴落とそうとする前に、なぜ彼が16人の共和党候補者全員を押しのけて、大統領選の共和党候補に選ばれたかについて、もっと掘り下げて分析するべきではないのか。

予備選挙戦の途中でメディが流したビデオの中でDonald Trumpからのコメントの中に国民からの強い怒りを感じるという一言があったのを思い出す。

明らかに中産階級以下のデモグラフィックに政府に対する怒りが充満しているように思えてしょうがない。どんなにアメリカが自分たちは世界No.1の先進国だと自画自賛しても、結局は他の先進諸国同様に格差社会の問題にアドレスできないでいる。

それどころか、米大統領と言っても、所詮一人のリーダーを選んでいるに過ぎず、別に一人の人間が世界を変えられるわけではないはずだ。変革を実現するのは国民一人一人の力のはずだ。

まして、Donald Trumpの台頭が示唆する中産階級以下の不満と怒りに目を向けることもせず、メディアを含め、どう考えてもエリート集団しか思えないテレビのフロントに出てきている人達が、絶え間なくDonald Trumpの言動を批判しても、中産階級以下の人々がそれに同感できるとでも思っているのだろうか。

全人口の半数近くを占める中産階級以下の人達がどうしていいかわからず、わらにもすがる思いで、結果を出さない現行政府の政策を糾弾するDonald Trumpを大統領にして社会をリセットできたらと願う気持ちになぜもっと目を向けようとしないのか。

Brexitが起こった理由もまさに同じところにあったはずだ。

The lesser of two evilsなどと批判するのであれば、例えば、ディベートの代わりに選挙戦の間、インターネットを使って月に一度、景気回復に向けての対策、ヘルスケアへの対策等、ただ単にウェブサイトに政策の内容を掲げるのではなく、実際に国民に向けてプレゼンテーションをすることだって、今のデジタル社会なら可能なはずだ。もっと具体的なプランを公の場で国民全体に向けて候補者自身が説明することで、投票する側に安心感を与えられれば、The lesser of two evilsなどという悲観的なコメントするMillennialsも減るような気がする。

いずれにしても、間違いなく言えるのは、高所得者と低所得者の所得差を限りなくゼロに近づけるような極端な政策を打ち出せいない限り、誰が大統領に選ばれても、結局は、私腹を肥やし続ける上流階級が存続し、ほんの気持ちばかりの是正処置に中産階級以下の人々は少しは良くなったと納得して、4年後また同様のThe lesser of two evils状態になるのはすでに目に見えている気がする。

どんなに将来を楽観視しようとしても、残念ながら世界はますますその病巣を広げ、争いは、伝染病が世界を侵食するかのように刻々とアポカリプスに向かう形相を呈している気がしてならない。

アメリカ大統領選が見せる格差社会の現実、臨界点を越えてしまったように思える地球温暖化、イギリスEU離脱、終焉が見えないISISによるテロ行為やアメリカの人種間の闘争、45年前にジョンレノンが願った平和な世界なんて本当にいつか訪れるのだろうかと思わせる1年がまた過ぎようとしている。

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Here is my two cents.- 結局ケベックPEQに辿りつくカナダ移民へのパス


今年6月に施行されたLMOに関するルール変更以来、外国人労働者にとって、今後就労ビザをキープすること自体至難の業状態。にもかかわらず、連邦のプログラムで道をふさがれてしまった人たちがPNP(州指名プログラム)に流れて、大行列ができているところに、申請時に仕事を必要とするプログラムの多くは、さらに州からの認可が下りるまでの就労ビザの有効性を要求し始めている。そして、さらに州によっては申請があまりにも多い職種は審査を後回しにする事態にも発展している。これまでの政治的動きを見れば驚くべきではないにしても、カナダ永住権取得への道は、予想以上に速いスピードで険しくなっていくのを感じる今日この頃。

一方で、申請時に仕事が要らない移民プログラムについても、例えば、ネット上でしばしば比較されるマニトバ州とケベック州の移民プログラム、両州共に今年受け付けるはずの最大申請受理数に既に達している。

ところが、ケベック州だけは、なぜかケベック州内でVocational Trainingコースをとってから移民申請をしようとする留学生の申請書は別枠で引き続き受理し続けている。と言ってもこのプログラムでさえ何時ドアが閉められてしまうかなんて誰にもわからない。

また、カナダ永住権取得への最短のパスとして考えられていたポイント制のRegular program – Foreign student in Québec(通称QSWと呼ばれている。)は、すでに最短とは言えないほどプロセスタイムが伸びている。

ところが、PEQ – Québec graduate(ケベック経験クラス)については、1800時間以上のVocational Trainingコースを選択して、フランス語B2をゲットすれば、面接免除で申請から約1ヶ月でCSQが下りてしまう。その後連邦政府に申請は必要であるものの、連邦側がチェックできるのは、犯罪歴と健康診断のみ。1800時間以上のコースは、約2年のコースにあたり、卒業後3年のPost Graduation Work Permitが申請可能なためカナダ永住権が下りるまで就労を続けられる可能性が非常に高くなっている。その上、PEQの場合はRegular programとは違い、フランス語に関して、通常のTEF等の公的機関が実施している試験を受けずに、政府が認可したコースをとってパスすることで申請要件を満たすことが可能になっている。

いずれにしても、カナダ永住権をゲットできるなら、留学してもいいという人たちが、世界中からPEQ – Québec graduate(ケベック経験クラス)に駆け込んできている。とりわけ、パートナーや19歳以下の子供を引き連れて移民を検討している場合は、Regular programでは、パートナーの資格が評価されるのに対して、PEQでは、パートナーも子供も主申請者と手をつないでフリーパスでカナダ永住権がもらえてしまう。

カナダに限らず、グローバルに移民申請を検討する場合に避けられないリスクとしてあげられる“いつ起こるか予想のつかない移民法の改正“という要素は存在するにしても、上手くいけば、カナダ永住権ゲット、最低でもスキルが身につけられるなら、家族会議で留学にかかるコストを正当化するのはそんなに難しくはないかもしれない。

蛇足だが、モントリオール留学を検討するなら、5月留学が一番のお勧め。コースが始まる1ヶ月ぐらい前に現地入りして、FSLに通いながら町に慣れる。季節がちょうど春から夏に向かう中ですがすがしい気分で留学開始。勉強しながら、夏のモントリオールをBYOW、パティオで満喫してから初めてのケベックの寒い冬を迎えたほうが頑張れる気がする。

とにかく、今はQSWではなく、PEQが狙いどころ。2015年渡航を予定している方はそろそろ準備を始めた方がいいかもしれない。

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Is this being naive or denial? - 反射的価値観が引き起こす誤算


今の世の中には、正しいものの考え方として、人が困っていれば無条件に助けるのが当然だという価値観が間違いなく存在する。とりわけ、カナダは、周りに困っている人がいたら、皆で協力して助けようとする優しい文化的一面を持っている。

ほぼ日常茶飯事的に、仕事をさせるとあんなにいい加減なところがあるのに、困っている人に救いの手を差し伸べる場面では、「へー?」とつぶやく瞬間が少なくない。

反射的価値観ともいえるこの感覚は、おそらく、世界のどこかで、自然災害の被害が出たり、内乱が勃発するたびに一番に干渉したがるアメリカにも、間違いなく根強く浸透した価値観のはずだ。そして、これが北米だけでなく、いわゆる世界標準的価値観になっているのも誰もが同意するところだと思う。

この「無条件に困っている人を助ける。」というまるで神様のお告げのような価値観の根底には、「この人は助けるべきだが、あの人は助けなくてもいい。」なんて絶対に言ってはいけないという概念が潜んでいる。つまり、半永久的に結果が出ないとしても、神のお告げに間違いはないと信じて、誰も、「無条件に困っている人を助けることが正しい。」という考え方と、差別という概念を秤にかけたりはしない。

最近、通勤途中、車のラジオから流れてきたCBCの中東に関するインタビュー番組の中で、インタビューを受けたある女性が、「私の反アラブ感情は、差別ではなく私の価値観だ。」とコメントした。ちょっとドキッとした。この女性は、ただ単に正直に自分の意見を述べていただけなのに、「それは差別ではなく価値観だ。」というコメントがしばらく耳から離れなかった。

そう言えば、シリア、イラク、イスラエルと中東のニュースがメディアで取り上げられなかった日なんて思いだせない。

シリアの話を聞かなくなったと思うや、6月にイラクでイスラム教スンニー派の過激派(ISIS)が勢力を伸ばすニュースがメディアをにぎわす。驚く間もなく、今度は、イスラエルとハマスの戦いが勃発して休戦を求める国際コミュニティーの努力もむなしく、事実上子供の喧嘩状態。メディアのスポットライトを独占する。そして、今度はイラクでまたISISがキリスト教信者に対して、改宗して法外な税金を払わなければ殺すというような行動に出ているニュースが流れる。イラクから既に軍を撤退させたオバマ大統領が空からの攻撃に訴えると発表する。

これらのニュースに反応して、カナダの各地でデモが繰り広げられる。イスラエル人をサポートする人たちがデモ行進、ちゃんと時間をおいてパレスチナ人をサポートする人たちがデモを繰り広げる。そして、イラクのキリスト教徒大虐殺を食い止めるための努力をするようカナダ政府に訴えるデモが始まる。

この中東が抱える問題は、地震や津波、ハリケーンといった自然災害で混乱に陥った国々を助けるのとはわけが違う。先天性の戦争中毒、永遠に癒されない怒りと憎しみを自らの文化の一部にしてしまっている人々がいる。まさに、“呪われた“という言葉しか見つからない宿命を感じさせる。

中東の国々が抱える政治的問題を直視して、国際コミュニティーが率先して移民受け入れを奨励した結果、今カナダには中東の国々から来た人たちによってつくられているコミュニティーがいくつも存在する。

一体この戦いはいつ始まったのだろう。きっと誰もが自問自答する瞬間があるはずだ。そして、一体いつ終わるのだろうと不安に駆られる瞬間があるはずだ。

人はよく、人の性格は、先天的な要素に大きく左右されるから、「人は基本的に変われない。」という人もいれば、「人は必ず変われる。」という人もいる。真理があるとも思えないこの超難題は、唯一統計だけが比較的客観性のある答えを出してくれる気がする。

テレビのニュースを通じて、世界にイラクで一体何が起こっているかを伝えて、必死に助けを請う女性がいた。この叫びに同感して、SNSを通じて彼女の声が世界中に広がっていくのか。

そして、ネット上では戦場の生々しい映像が配信される。

繰り返すが、中東が抱える問題は、自然災害で国民全員が救いの手を求めているのとは違う。問題を作り出している人たちは救いなんて求めていない。

実際にいくら先進国が軍事的援助を提供したとしても、統計が示唆する結果は、送り込まれた兵士たちの死に泣きくれる家族の姿、そして、世代を越えても消えない恨みが隙があれば世界各地で引き起こす自爆テロ行為の陰で泣きくれる人々の姿、犠牲者はさらに増加し、怒り、恨みはさらにつのっていく。そして全てが振り出しに戻ってまた戦争が始まる。ため息がでる。

ふと2012年のアメリカ大統領選で敗れたMitt Romney氏が言い放った政治資金集めのイベントでの爆弾発言を思い出した。「税金を払うほどお金を稼いでいない47%のアメリカ人は自分には投票せず、オバマに投票する」とか、「パレスチナ人は平和を望んでいない、中東問題は永遠に未解決のままになる。」といった発言。

彼のコメントはあの大統領選での敗北の理由としていまだに語り継がれている。

でも、不思議なのは、彼の言ったことは全て当たっている。

一瞬、思ってはいけないと思いながら、最初に助けなければ、もしかしたら犠牲者の数もテロの数も最小限に抑えられたのでないのかとひとり呟いてしまう。問題を作り出している人々がセラピーでも受けて自らの行いを悔い改める日が来ない限り、この問題は永遠に解決するとは思えない。

アメリカが、国連が、国際コミュニティーと言われる人たちが、必死に自分の価値観が正しいと信じて、中東にその価値観を無理やり受け入れさせようとする。何年たっても結果が出ない理由が決して自分たちにあるとは思わずに。

何百年たっても人の過ちを許そうする思いよりは、これを憎しみに変えて伝ようとする民族が争いを続けるところに、それを止めようとする国際コミュニティーが存在する。多分90%以上の人が国際コミュニティーの行動を肯定的に受け止めるのだろうか。

にもかかわらず、2014年もう半ばを過ぎている現在、中東のどこかの国が、メディアを賑わさない日があっただろうか。

それにしても、デモに訴えて助けを求める人たちは一体、誰に何をしろというのか。嵐の中にのまれた船に乗った人たちを助けるために、嵐の中に人を送って助けてくださいと言っているのと何が違うのか。

それどころか、そんなに助けたいという気持ちがあるなら、なぜ自分で戦場に向かって行くことをしないのか。

自分がなぜ祖国を捨てて他国に移民したのかその理由を考えたら、どうしてそんな不可能なタスクをまるで可能かのように他の誰かに期待するのか。

どんなに言っても永遠に変わらない人間の心を一番よく理解しているのは、デモをしている人たち自身のはずなのに。

反射的な価値観は、状況によっては「困っている人を助けるべきではない。」なんて誰にも言わせたりしない。

永遠に終わらない争いが生み出す消えない恨みや憎しみを前にして、CBCのインタビューに「私の反アラブ感情は、差別ではなく私の価値観だ。」と答えた女性の正直な思いが、世界が必要としている ”時には許されるべき差別” の概念を暗示している気がしてならなかった。

世界は今、差別という行為がもたらす肯定的な側面を、現実に即した形でもう一度見直してみる時期に来ているのかもしれない。

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TFWP Collateral Damage -回避不能、実行が伴わない政策の犠牲者


昨年4月にオンタリオ州でRBC(Royal Bank of Canada)が外国人雇用プログラムを濫用して、カナダ人スタッフを解雇、その代わりにiGate Corpを通じてインドから安価なIT外国人労働者を雇用していた事実がニュースのトップに上がった。ほぼ同時期にRBCに続いたのが、BC州でカナダ人300人が応募していたにもわらず、中国からの外国人労働者約200名を炭鉱作業員として採用したHD Mining Internationalのスキャンダル。

メディアに煽れた世間は、例によってひたすら感情的にハーパー連邦政府の政策を糾弾した。そして、それから4ヶ月後の昨年8月、政府が出した答えは、以下の5つの政策ポイント。

1.A-LMOの廃止

2.LMOを申請する雇用主に対して、申請書に含まれる外国人労働者一人につき$275の申請料の課金

3.外国人労働者に対する賃金に関して、Prevailing Wageより5-15%低くオファーすることが許されていたルールの撤廃

4.広告を通じてカナダ人労働者を雇う努力として、最低でもJob Bankを含む3つのメディアに4週間以上の広告掲載義務

5.正当な理由がない限り、英語またフランス語以外の言語能力をポジションのリクワイアメントの中に含めることの禁止

あの時は、政府としても政治的にカナダ人の就労機会を保護しようとしている努力を国民に対して誇示する必要があったのは理解できる。

ただ、おそらく実情は、政府側もパニック状態で、メディアに煽られて「私は感情的になってこんなことを言っているんじゃありませーん!」と正に感情的に切れてしまう人々、つまり、客観的に物事の善し悪しの判断がつかなくなった人々に対し、鎮静剤を注射して眠らせてしまうような対策しか講じられなかったのだろう。

実際、どれもこれ偶然表面化した問題にモグラたたき的対策を講じているようにしか見えなかった。

案の定、その後禍が今年になって顕著になり始めている。“Effective Immediately”と政府側の強硬な態度が窺われた昨年8月から半年近くもかかって漸く実行に移されたと感じさせるこの政策も、実行の段階で多くの問題を引き起こしていることに、政府側が気づいていないように思われる。

そして、昨年起こったスキャンダルに続いて、最近ではさらにマクドナルドでの外国人労働者の雇用が槍玉に上がっている。

ふと、そう言えば、数年前にLive In Caregiverが雇用主に搾取される事件が起こり、Live In Caregiverを保護する対策が強化されて、外国人労働者の保護が叫ばれた時期があったのを思い出す。

あの時点でTFWP(Temporary Foreign Worker Program)を利用して、カナダ人労働者を比較的安く雇用できる外国人労働者に置き換える企業は既に数多く存在していたはずだ。

政府が掲げる外国人労働者の雇用に関する政策は、問題が起こるたびに国民に対して、犠牲者の利益を守る対策を打ち出すことで、政府が国民からの支持をさらに獲得しようとする動きに過ぎない。

問題は、掲げられた政策ではなく、その政策を実行する段階で起こっている。

現行のTFWPを公平に運営するために必要なスキルは、雇用主側がカナダ人の仕事を正当な理由なしに外国人労働者に与えようとしているケースを正確にスクリーニングし、排除する力。つまり、倫理観を持った企業家がビジネスを成長させようとする行為と、手段を選ばず、自己の利益のためなら、倫理に反する行為に走ることを厭わない企業家をしっかり識別できる判断力が必要とされるはずだ。そして、それは決して容易なタスクではない。

つまり、メディアが取り上げるストーリーに合わせて、連邦政府が外国人雇用ブログラムにパッチワーク的にどんな変更を加えたとしても、原則は、能力のある外国人労働者が搾取されずにカナダの経済成長に貢献し、かつ、カナダ人の仕事を取り上げないことが根底にあって当然なのだ。

ところが今年に入って、現実はその原則には程遠い全く不条理なルールに基づいた判断が次々に下されて始めている。

例えば、サービスカナダのプログラムオフィサーが正当な理由もなく主張するポイントは、不十分なリクルート活動、低い賃金レベル、人手不足が存在しない、と一見もっともらしく聞こえる却下理由が並べられる。

リクルート活動について言えば、あるオフィサーは、この広告メディアは、このポジションには適切でないと、その業界でもトップ3に入るジョブサイトを否定するコメントしたりする。勿論、それじゃ、どのメディアに広告を出せばいいのかを聞いてもNo Commentの一点張り。そして、突然「広告はこれでいいとしても、」と自己の非を認めたかと思うと、いずれにしても、このポジションは人手不足が存在しないと主張する。ところが、Working in Canadaサイトに行けば、人手不足が存在するのは、誰が見ても明白かつ客観的なプルーフが存在するにもかかわらず、サービスカナダ内部に各業界に明るいスタッフがいて、そのスタッフがこのポジションは人手不足が存在しないと言っているというのだ。本当にこんな判断が許されていいのか。

I couldn’t help mentioning, “Does this have something to do with the RBC scandal?” Then she goes again, “No Comment”

またあるオフィサーは賃金レベルが低いとクレームをつけてくる。Working in Canadaサイトに確認済みの賃金レベルに従っているのもかかわらず、「あのサイトはアップデートされていない。」と一言。それじゃどこに最新情報があるのかを聞くと、“Unfortunately, that information is only on our internal site.” と真剣に話をしている自分が情けなくなる瞬間。

雇用主側に追加書類として、全く必要のない会社のConfidentialな情報を信じられないようなデッドラインで要求して、雇用主側に週末返上で用意させた挙句に、明らかに提出した書類に目を通したとは思われないタイムフレームで却下する行為が本当に許されていいのか。

英語とフランス語以外の言語は正当な理由がない限り要求してはいけないという条件に至っては、仕事中に100%その言語を常時使っていなくてはいけない等極めて独断的な尺度でその判断を行っている。

最近話をしたどのプログラムオフィサーも口々にこの決断は全てトップダウンで従うしかない状況を示唆している。

明らかに連邦政府は、カナダ人の就労機会を保護しようとするがあまり、倫理観を持った企業家たちが、純粋に有能な人材を必要としている中で、その人間が偶然外国人であるケースを全く考慮していない。

間もなく、数多くの犠牲者が立ち上がってメディアを動かす予感がする。

ここでカナダ政府が改めて認識すべきことは、本当に必要とされているのは、国民が聞きたがっている政策内容を誇示することではなく、表向きの政策がどんなに変更されたとしても、その政策の実行段階で、避けられない無実の犠牲者の数を最小限に抑える努力を怠ってはいけないということではないのか。

カナダの現状は、企業規模が大きくなればなるほど、カスタマーサポートに電話をかけると、かける度に全く違うことを言われるというように、政府に限らず、オペレーションレベルでのスタッフのトレーニングの杜撰さは、国レベルでも永久の課題となっているはずだ。

まして、RBC、HD Mining International、McDonaldといったスキャンダル自体、メディアが介入してくる前に、サービスカナダ自身がオペレーションレベルですぐに気づいておかしくないことであって、それができない体制自体根本から見直す時期に来ている気がしてならない。

残念ながらルートコーズがこれだけ明らかになっていても、カナダの国としての力不足を考慮する限り、“Go Public!”メディアを味方に入れて文句を言ったもの勝ちの国としての体質は、永遠に変わることがないのかもしれない。

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It takes two to tango -ネット上にはびこる誹謗中傷中毒者の悲哀


職業柄、悪徳弁護士や詐欺行為に走る移民コンサルタントの話をしばしば耳にする。

許せないと思う。

他方、悪徳クライアントや詐欺的クライアントあるいはとにかくサービスをアビューズしようとする人々。

ひたすら、唖然。

ところがこの全ての上を行くのが、サービスを提供する側かサービスを享受する側かにかかわらず、身元が明かされないことをいいことに、ネット上で自己の非を全く認めず真実を捻じ曲げて被害者になりきって他人を誹謗中傷する人間。

批判されている人間が反論する機会を与えられていないところで、自分が100%被害者になりきる人間。

自分には関係ないとは思いながらも、最近、さすがにちょっと切れた瞬間があった。

That is totally uncalled-for!!!

複数の人間が存在すれば摩擦は避けられない。

どんなに仲のいい親友も必ず喧嘩する。

どんなに仲のいい家族も必ず喧嘩する。

どんなに仲のいい夫婦も必ず喧嘩する。

実際に北米では50%以上のカップルが離婚している事実がそれを証明している。

離婚した友達が別れた相手のことをめちゃくちゃに言うシーンを思い出す。

両方をよく知っている手前、ただ単に怒りのやり場所が見つけられず、感情的になって別れたパートナーを中傷しているのがわかる。勿論、黙って話を最後まで聞いてあげる。

一瞬、「でもこれは全く2人を知らない人間が聞いたらどう判断するだろうか。」と思ったことがあった。

ところが、今や、まさに、インターネットが創り出したデジタル社会がそれを可能にしている。

実際には何の根拠もない一方的な悪口が、まるで真実のようにネット上に浸透していく。

誰でも簡単に被害者になりすませてしまうネット社会。

誹謗中傷中毒とも言える行動がネット上に不快感を充満させる。

長い時間をかけて歪んでしまった社会の中で人々が気づかずにいる心の病。

デジタル化の波はその心の病を人々の行動に投影させるのか。

本当に自分が犠牲者だと確信しているのなら、ネットで不特定多数に訴える前に、なぜ加害者に法的手段に訴えてでも直面しようとしないのか?

「どうせ訴えても負けるから。」
「弁護士を雇うとお金がかかるから。」
「カナダの弁護士をやっとたら、言葉が通じなくて、またひどい目に会うから。」

J’en ai assez!

そんな言い訳で済んでしまう程度の怒りをもって、なぜそこまで同情されたいのか。

結局、ブログであるいはSNSで類友から同情されたくて、架空のIDで超脚色版ストーリーを使っての犠牲者ぶりは超非生産的な暇人の悲哀を醸し出す。

怒りをぶつける相手に直面することもできないのなら、just suck it up and move on !

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Corrupt ? Who isn’t ? – デジタルインフラが実現する直接民主主義


ここ数カ月間、カナダでは連邦政府レベルでMike Duffy上院議員、トロント市ではRob Ford市長が子供じみたいじめの標的にされ、メディアがその報道で視聴率を取ろうとする露骨な態度にうんざりした。

Nelson Mandelaの死に一瞬打ち消された感があったものの、世間は引き続き誘惑に負けた権力者いじめに忙しい。

この年末日本を訪れて、東京都知事の猪瀬知事が同様に標的にされている報道にさらにうんざりさせられた。

社会が成長して、人口が増えれば増えるほど、直接民主主義が難しいという観念の下に、市町村レベル、都府県レベル、州レベル、連邦レベルで政治家が生まれて、権力が集中し始める。そして、その周りにその権力の恩恵を目当てに群がる人々がいる。これが渦を巻くように幾つもの円を描いて広がると、その複数の渦は激しくぶつかりあいながら、あるものは消え、あるものはさらに勢いを増しながら、社会一杯に広がって行く。おそらく、その渦の一番外側に居る人々が比較的正常な倫理観を持ってメディアの報道にうなずいているのだろうか。そして、その一方で、政治家の周りに群がる人々はいつのまにか自らが汚職の共犯であることを都合よく忘れてしまう。

権力を握る者が誘惑に負けてしまう原則をしっかり認識していながら、自ら受けている恩恵を保つために、巧妙に汚職を隠し続ける政治家を責め立てることもなく、不器用に見つかってしまう政治家いじめに夢中になってしまう人々がいる。

この船は沈むと思った瞬間に手のひらを返したように、別の船に乗り換える日和見主義の人々。

ひたすら視聴率だけにこだわるメディア。

物事がどっちに転んでも得をするのはメディアとはいえ、純粋にジャーナリズムを追及している人が本当にいるのなら、誰が本当の悪者なのかをちゃんと教えてほしいものだ。

明らかに現行の政治体制はインフラがデジタル化の影響を強度に受けているにも関わらず、アップデートされないまま、すっかりウイルスに感染した状態で、凄まじい権力を持った人間がともすれば、比較的権力を濫用することに慣れていない政治家をボタン一つで削除できるインフラに変わっている。

思えば、社会はこの20年ぐらいの間にデジタル化の恩恵を受け、人々は実際には消化しきれない情報の氾濫の中にいるが、これに伴って必要不可欠な様々なインフラのアップデートにほとんど手をつけることができないでいる。いやおそらく人々の多くは、そのことに気づいてすらいないのだろう。グーグルが陰で大きな力を持ってしまったことがそのことを明確に示唆している。恐ろしい気がする。

ところが、この政治家いじめを排除する方法は皮肉にも、このデジタル社会の根幹となっているインターネットの力に頼らざるを得ない気がする。

解決方法は、権力を握ると人は汚職の誘惑に負けてしまうという原則をしっかり受け止めた上で、その原則をできるだけ回避して社会を機能させること。つまり、社会の政治体制を直接民主主義により近づけて行くこと。

インターネットがあれば、例えば社会の規模がどれだけ大きくなっても、従来不可能と思われていた直接民主主義にもっと近づけておかしくない。

この中では、政治家の役目は決定が必要な問題に関して、あくまで国民にできるだけわかりやすく説明すること。そして、このプロセスにこそメディアが介入すべきだ。彼らの役割は国民の政治に対する意識を高め、何を決めなければならないかについて国民全員に100%理解させること。とにかく、最終的な決断は全てインターネットを介した国民投票によるシステムを実現することではないのか。

すぐに100%実現不可能であっても、政治家から決定権を取り上げてしまえば、その恩恵を求めて群がる人々の動きにも歯止めがかけられるはずだ。同様に、渦ができなければ、人々の汚職に対する免疫力を高め正常な倫理観を保つことにも繋がるはずだ。

ここで最も大切なのは、直接民主主義が実現できるインフラが現代社会には既に存在していることを国民が認識して、そのインフラが一部の個人や企業に濫用されている現状を打破する必要があることだ。そして、何よりも必要なのは、国民がそれを欲すること。自分には関係ないなんて思っていたら、いつの間にか政治家の汚職どころか、グーグルに世界が支配されて、プラバシーという概念自体が社会から消えてしまうかもしれない時代が迫って来ている。

デジタル社会の有用性は巨大一企業の成長のために濫用される前に、まずは国民の利益に繋がる形でパブリックセクターの汚職を排除するために使われて当然のような気がしてならない。言うまでもなく、そのために必要不可欠なのは、従来オフリミットととされていた憲法を含む社会を規制する全ての法律が古ぼけてしまっていることを国民全員がしっかり受けとめて、変革を恐れないこと。

仮にアップデートして問題が起こってもすぐに修正するという柔軟なマインドセットを持たない限り、権力集中が当たり前の社会を変革することなんてできないはずだ。

繰り返すが、汚職に染まっていない政治家なんて存在しないのだ。デジタル社会が情報の流動性を極端に高めた結果、それを以前より容易にそしてより頻繁に表面化させているだけにすぎない。政治家を汚職に走らせている大きな原因の一つには、権力の集中に恩恵を求めて群がる人々の存在が挙げられる。勿論、メディアも教えてくれないその汚職の裏に隠れている悪意の権力者の存在も忘れてはいけない。結局はこの政治家いじめの後ろにも、政治家、世間、メディアのどこかに存在する一部の個人あるいはグループに権力が集中することによって起こる権力の濫用の問題が潜んでいる。

つまり、社会に求められているのは、政治家の汚職行為を責めることではなく、最初から汚職行為が存在しえない政治体制を確立させることではないのか。

それが実現できれば、税金の無駄遣いとしか思えない、こんなにも非生産的な政治家いじめ報道を耳にしなくて済む社会が必ずいつかやってくると信じたい。

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Do it today, not tomorrow ! – カナダ移民、急いだ者勝ちの人生原理


CIC(Citizenship and Immigration Canada)が2日前にカナダ経験クラスの申請資格を有するスキルレベルBの職種から以下の6つを除外することを発表した。

  • Cooks (NOC 6322)
  • Food service supervisors (NOC 6311)
  • Administrative officers (NOC 1221)
  • Administrative assistants (NOC 1241)
  • Accounting technicians and bookkeepers (NOC 1311)
  • Retail sales supervisors (NOC 6211)

“How dare you!” 怒りと困惑の声がそこらじゅうから聞こえる気がした。

金曜日の発表で、クライアントごとの救済オプション検討に週末が消えて行った。

今年1月にカナダ経験クラスで申請に必要なカナダでの職歴が2年から1年に短縮されたが、5月には連邦スキルワーカーから申請できる職種が更に限定され、申請要件に含まれている言語能力のバーが引き上げられた。

その結果、カナダ永住権申請者の多くがカナダ経験クラスの列に流れ始めた。

今回の発表には、この相次ぐ申請要件変更の過程で、カナダ永住権をなんとしても手に入れようとする人々がCICのルール変更にどれだけ敏感、迅速に反応していたかをあらためて痛感させられた。

現行のカナダ移民政策は、明らかに英語またはフランス語でコミュニケーションが取れない移民者を排除しようとしている。

おそらく、ここ数年の間に、英語を話さない中国からの移民が急増したことに対するバッシングともとれるこのカナダ移民政策。

このカナダ移民政策の意図があまり露骨にならないように学歴、言語能力に関して比較的寛容に一定のパスを残したカナダ経験クラスに申請者が流れたことは周知の事実。

と言っても誰もが、あと6ヶ月くらいは猶予があるはずと希望的観測をしていたのも同様の事実だったはずだ。

状況は想像していた以上に厳しくなっている。

人生の明暗を分けてしまうかもしれない瞬間はこんな風に突然やってくるのか。

中国経済の急成長、そしてヨーロッパの経済危機、アメリカの不安定な経済状況、要因は挙げたらきりがないほど、民族大移動の流れは、当初のカナダ移民省の予想を遥かに超えた勢いで移民大国カナダに迫ってきている。

今回連邦政府が発した突然のカナダ経験クラスのルール変更は、今後カナダ移民を目指す人々にとっては大きな警告になったはずだ。

しかしながら、たとえカナダ移民法がいつ変わるか分からないとは言っても、どう変わって行くかを予測するのは決して難しくはないような気がする。

必要な人材を募集して、十分集まったら、募集を停止する。そして、また足りなくなったら募集を再開する。こんな単純な原則が背景にあって、そのなかで、学歴、職歴、言語能力があまり問われないパスがあれば、そこに人だかりができるのは時間の問題。

近い将来、スキルレベルBの職種でカナダ永住権申請を検討している方、とりわけ、ヘアードレッサー、スーパーバイザー系の方には、残念ながら、“リスクヘッジ“、“石橋を叩いて渡る。”なんて言うコンセプトが通用する時代ではないことを再認識してほしい。

自分には能力があっていつでも移民できるなんて思っていたら、振り返ったらもう橋はなくなっているかもしれない時代。

時はまさに、“橋はあるうちにとにかく渡れ。゛ それからどうするかなんて考えても、誰にもその答えは分からない。

これはもうカナダ移民にだけにあてはまるとは言えないような気がする。

人生の分岐点においては、誰もが否応なく選択を迫られる瞬間を通り抜ける。

チャンス到来にアクションを起こせず、しゃがみ込んでしまった自分を悔いた瞬間を一生引きずってしまう人も少なくないはずだ。

これだけ将来が地球レベルで不透明な中で、詳細なライフプランを立てること自体あまり意味を成さなくなっているような気がしてならない。

それよりも、何よりも、思い立ったが吉日、とにかくアクションを起こして、失敗したらすぐに方向転換できるマインドを持つ人が生き残るフェーズに入っている。

自分がやりたいことなんて偶然置かれた状況によって一瞬にして変わってしまう。

石の上にも3年なんていまだにつぶやく人がいたら、iPodでお気に入りの曲を聴きながら、無視して通り過ぎればいい。

時代はまさに急いだ者勝ちの人生原理を強く示唆し始めている。

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Deux Poids, Deux Mesures – 自己矛盾に陥る移民大国カナダ


もう20年も前の話になるが、オタワでカナダのハイテク企業に勤め始めてすぐに、ほぼ2ヶ月に1度のペースで2,3週間日本に滞在する生活を強いられていた時期があった。

日本国内を移動している途中でコンタクレンズのケースをなくしたことに気がついて、何の気なくデパートに足を運んだ時のことだ。

びっくりした。

いつもは秋葉原でしか見ることがなかった日本人のこだわりの文化を、東京のこのコンタクトレンズ売り場の一角で目の当たりにしたのを思い出す。

あの当時、と言っても今でもほとんど変わっていないような気がするが、北米では、例えばコンタクトレンズケースと言ったら、ほとんどの人が、ドラッグストアでコンタクトの洗浄液や保存液を買う時についてくるなんの変哲もないケースを使っていたはずだ。そんなものが市場で競争したりしない。ところが、日本ではその何の変哲もないモノのデザインやクオリティーが極限まで追求されていた。

セレクションの多さに、「えー」と思わず声を上げた田舎者がそこにいた。

昔、日本市場で一番になれば、世界でも間違いなくトップクラスになれると言った人の言葉を思い出しながら、努力を絶やさない文化に感心した。

これじゃ、別に海外から競合他社が乗り込んできたとしても、誰も文句を言ったりはしないのだろう。

一方、カナダでは、確か8月の初めだったと思うが、世界最大級のグローバルネットワーク・セキュリティ・クラウドプロバイダー、Verizon Communicationsがカナダに参入するというので、この競合にあたるカナダ大手3社Rogers, Bell, Telusが、この参入によって多くのカナダ人が失業してしまうことを懸念して、大騒ぎの反対デモを行ったというニュースが報道された。

ところが、その約1カ月後、Verizon Communicationsはカナダへの参入はしないというニュースと共に、結局Verizon側は最初からカナダになんて全く興味がなかったというニュースまで流れた。

本当なのか? 気になってアメリカ側のニュースをグーグル検索した。

確かに同時期にVerizon CommunicationsはVodafoneから彼らが持つVerizon Wirelessの 45%の株を手に入れようとすることに忙しく、カナダになんて全く目が向いていなかったようだ。このディールの規模は約130ビリオンドル。確かに、カナダが彼らの視界に入らないのも無理はない。

結局、ケーブルもインターネットも携帯も料金が下がらないのかと内心がっかり。

このニュースを聞いた時に、4ヶ月くらい前に、RBC(ロイヤルバンクオブカナダ)がインドから外国人を低賃金で雇用して、50代以降のプログラマーを解雇するという話がカナダで大きく取り上げられたのを思い出した。

移民省大臣が、「外国人雇用プログラムは、カナダ人の仕事を安価な労働力で置き換えるためにあるわけではない」、とカナダ人の味方をする見解を表明した。

「それは違う。」と思った。

20年ぐらい前にあったハイテクブームでは、何かとアウトソーシングするトレンドがあった。例えば、某クレジットカード会社のカスタマーサポートに電話をするとインドに繋がっていたことを思い出す。

インドの人たちは英語を話すだけでなく、電話での対応が北米とは異なり丁寧で、その上、何よりも彼らにアウトソースすることでオーバーヘッドが断然低く抑えられる。あの時は、明らかにカナダ人に対する雇用の機会が奪われていたのにもかかわらず、それに対して文句を言っているなんてニュースは一度も耳にしたことがなかった。

中国経済をここまで急速に発展させたのも、まぎれもなく、先進諸国が製造拠点を中国に移管したからではないのか。ここでもカナダを含む先進諸国の労働需要は中国に全て流れてしまっている。でも、そのことについて文句を言ったり、政府に救済を求めたりもしなかったはずだ。

努力を続ける人もいれば、怠る人もいる。

20年前に無敵と思われたウィンドウズの時代が終わり、あのアップルが見事に返り咲き、あの一世を風靡したBlackberryもまもなく姿を消そうとしているように、需要と供給の関係をベースに独占的に繁栄を享受している状況は決して永遠に続いたりはしない。

例えば、RBCの50代以降のプログラマーができる仕事を、もし彼らに払う半分の給料でインドからの外国人労働者ができるというのであれば、それをアウトソースすることが中国に生産拠点を移すことと本質的に一体何が違うのだろうか。確かに、サービスを提供する側がカナダに物理的に存在するか否かの違いはあるにしても、どちらも間違いなくカナダ人の雇用の機会を奪っている。

報道の中で、RBCは高利益を上げているのにもかかわらず安いインドの外国人を使おうとしていることを批判するコメントがあった。

ちょっと驚く。そんなことを言ったら、お金を持っている人は安売り製品を購入してはいけないのか。

ここでRBC側の行動を正当化するつもりはない。ただ、RBCがどんなに高い利益を上げていたとしても、例えば、同じ職場に長年住みついて、生産性が下がっても、このまま定年までいてやろうなんて思っている人間を企業が必ずしも雇っていなければならない理由はないはずだ。

それどころか、カナダ人が時給100ドルで提供しているサービスと全く同一のものを50ドルで提供できる外国人が現れた場合、このサービスの時給は、もはや100ドルの価値はないということをどうして受け入れることができないのか。

そして、もし時給50ドルでもその仕事を取るというのであれば、この時点で初めてこの仕事はカナダ人にオファーされるべきかどうかの議論が始まるような気がする。

同様に、Verizon Communicationsがカナダに参入してくることによって、自分の仕事がなくなってしまうとパニクルのは、自分の提供しているサービスがグローバルな土俵では競争力がないことを公に認めているだけでなく、世界に向かって、価格に対して見合ったサービスを提供していないことを公言しているのと同じではないのか。国内には競合がいないから、高くチャージしてのんきにしていればいいなんて、そんなことが許されていいわけがない。

本当に価格に見合ったサービスを提供していて、競争力を持ち合わせているなら、Verizon Communicationsの参入にあそこまで大騒ぎする必要なんてなかったはずだ。

恥ずかしい気がした。

難民を含む様々な形で移民を受け入れてきたカナダ。ともすれば、永住権を持っているか否かの違いがほとんど見えなくなってしまう瞬間が多い中で、取ってつけたように、外国人に自分の仕事が取られたと叫ぶ人達のデモにはあまり感心できない。

これは自分の能力がグローバルな土俵では通用しない現実に目をそむけ、「自分はカナダ人で、あいつは外国人だから。」という言い訳を見つけて同情を買おうとしているようにしか見えない。そして、困ったことにそれをサポートせざるを得ない移民省大臣がいる。

つい最近、トロントで一番大きいショッピングモールと言われるダウンタウンにあるEaton Centerの某レストランで、雇用主側がレストランをクローズするという理由で、従業員全員を一旦解雇した直後に、レストランの名前を変えて、新たに全く新しい社員を労働組合なしで雇用したことに、解雇された元従業員がデモを起こしていたニュースが報道された。

一瞬、雇用主側に対する同情の念が湧く。

インタビューを受けた50代のシェフが、「レストランをクローズすると言われて解雇された後すぐに、また新しいレストランが新しい従業員を採用してオープンした。労働組合がないと聞いたが、こんなことが許されていいのか。私はもう50代だから仕事もそんなに簡単には見つからない。」

この話にまたびっくり。情けない気がした。

グローバルに安価な労働力を探すトレンドはすでに地球レベルで始まっている。

「カナダ人の雇用の機会を奪うとはなんたることか!」と、一瞬もっともらしく響く価値観がすでに時代の流れにそぐわないことをしっかり認識する必要がある。

同様に、弱者保護を訴えるがあまり、権利の主張に夢中になっている弱者自身が怠け者なってしまっている現状も忘れないでほしい。

移民政策でここまで成功している移民大国カナダが、本当にしなければならないのは、もっとグローバルに競争力のあるサービスをどうやったら提供していけるのかを政府がリーダーシップをとって模索していくことではないのか。

あいつは外国人で、僕は私はカナダ人だから、無能で怠慢でも保護されるべきだなんて、そんな時代がこれからも続くとはどうしても思えない。

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Let’s be impartial for once ! -モントリオール留学から始まるカナダ移民


海外留学と言うと、留学先としてはヨーロッパ諸国の経済の先行きがかなり不透明な中で、北米、とりわけ拳銃所持が許されないカナダは治安の良さもあって、自然に選択肢のベスト3にランクインする。

インターネットが世界を結ぶポータルとして機能し始めている中で、その共通言語は残念ながら未だに英語。世界語としての英語の地位は当分変わりそうにない。

そのせいもあって、海外留学を通して英語を身につけて、できればキャリアも海外で成功させたいという夢を抱く若者たちの思いにはさらに拍車がかかっているように感じる。

短期留学、おケイコ留学、親子留学、シニア留学、ワーホリで語学留学から始めて、インターンシップ、大学、大学院へと進むパス、あるはスキルを身につける目的で留学するなど、この10年ぐらいの間に見る海外留学の変貌ぶりは、国境のない世界人的あるいは地球人的ともいえる意識の高まりを感じさせる。

海外留学という言葉には何か大きな夢を叶えてくれるような響きがある。

ところが、海外留学の現状は、その夢が簡単に実現するシナリオにはなっていないようだ。

海外留学中に英語が上達して現地の生活に慣れてしまうと、そのまま仕事を見つけてずっと暮らしてみようかなどと誰もが一度は考える。

カナダではこの留学生心理をくすぐるポスト・グラジュエーション・ワークビザというインセンティブが存在する。

このビザで留学生は、カナダの短大、大学卒業後に一定期間就労することが許される。これで大学側は留学生を世界各国から呼び寄せて商売大繁盛。

そして、これがまるでカナダ経験クラス(CEC)といったカナダ移民パスに繋がるように見せて、さらに留学ビジネスを加速させようとする。

一見、このビジネスモデルが留学生には大ヒットしているように見えるが、真実は大学を卒業してもなかなかカナダ移民の資格が得られるような仕事にはつけず、結局は母国に帰るというシナリオがむしろごく一般的のようだ。

日本人以外でも英語が流暢に話せる留学生でさえ、卒業後すぐに管理職レベルの仕事につけるはずもない。(卒業後、技術職、管理職としての1年以上の職歴がないとCECから移民申請できない。)

それどころか、カナダ人の若者たちでさえ仕事が見つけられていないというニュースをつい最近The Vancouver Sunが報道していた。

www.vancouversun.com/business/productiveconversations/Three+steps+toward+correcting+youth+employment/8793028/story.html?__lsa=8545-c4de

つまり、カナダの州の多くは、労働市場と教育機関のコミュニケーションがしっかりなされていない。

こんな中で、連邦政府のカナダ移民プログラム以外にも確かに、マニトバ州指名プログラム(マニトバ州は人口が120万たらず、そのうち60%がウィニペグ一都市に集中している州)やユーコン準州指名プログラム(人口25万人)といった人がほとんど住んでいないような土地でのカナダ移民プログラムが存在する。

カナダ移民の条件の1つとして、仕事についていればその仕事の種類はあまり問われない。

人がほとんどいないのに自分のやりたい仕事が本当にあるのか?

仮に、こんな形で移民して本当に後に繋がるのか?

この他にも、オンタリオ州指名プログラム、ブリティッシュコロンビア州指名プログラムやサスカチョワン州指名プログラムと言ったカナダ移民のパスもあることはあるが、申請資格を満たすには、どれもこれも結局は申請時に仕事があることが必須条件。

正直、どれもあまり現実味のあるカナダ移民のパスとは思えない。

自分が納得できないカナダ移民プログラムは勧められない。

そんな中、ケベック州はジョブオファーを必要としないカナダの中でも唯一本当に現実味のあるカナダ移民へのパスを提供している。

といってもケベック州の全てを勧めるつもりはない。仮にカナダに移民した場合にも日本人にとっては唯一モントリオールだけが満足の行く生活が送れる街だと確信できる。

ところが、残念なことに、カナダ留学と言うとブリティッシュコロンビア州やオンタリオ州だけが紹介され、ケベック州は、フランス語と言うだけで、モントリオールでは英語がちゃんと話されているのにもかかわらず、食べず嫌い的な偏見がケベック州を列の後ろに押しやってしまっている。

ケベック州モントリオールは、人口165万人、カナダでは2番目に大きい都市。

ここでケベックの見逃せない食文化の話や学費や物価の安さや、自然の美しさについては触れるつもりは毛頭ない。なぜなら、モントリオール留学が勧められる一番の理由はそんなところにはないと思うからだ。

モントリオールでは、短大、大学、職業訓練校もすべて英語でもフランス語でもどちらでも好きな言語で受けられる。

そして、何よりも、ケベックが他州とは違うのは、労働市場と教育機関が密接に繋がっていること。

ケベック州だけが教育を受けた後に仕事がなくてもカナダ移民申請が可能な制度を設けているのは、ケベックで教育を受けた人が仕事を見つけられるインフラをしっかり確立しているからだ。

労働市場の要求がどんなに急速に変化しても、教育機関側が柔軟にその変化に対応していく強さはケベック移民政策にしっかり反映されている。

つまり、ここがまさに、海外留学に同じ時間とお金を費やすなら、モントリオールを勧める理由に他ならない。

英語でスキルを身につけながら、フランス語も身につけられる環境で、2年間を死に物狂いで1つのことに打ち込んで過ごす結果は、ケベック州が例外なく評価してくれる。

職業訓練校について言えば、コースの中にはインターンシップが含まれているのでそこで就労経験を積むことができるだけでなく、卒業後も最高3年のオープンワークパーミットでさらに就労経験を積むことができる。その上、卒業の6か月前から、移民申請も並行して行うことができる。

世界的にも勤勉で努力家として知られている日本人にとってこんなに有利な土俵はないはずだ。

それにもかかわらず、フランス語圏だというだけで目をそむけてしまう現状については残念でならない。

これから海外留学を考えている方だけでなく、カナダの他州において短大あるいは大学教育を受けて英語が上達したにもかかわらず、仕事が見つけられず、カナダ永住権取得の夢を諦めかけている人達も含めて、もう一度このカナダ第2の都市モントリオールに目を向けて欲しい。

勿論、フランス語を身につけることと、スキルワーカとしての仕事を見つけることの難しさを比較した場合の答えはおそらく人によって違うはずだ。

ただ、カナダ第2の都市で中級レベルのフランス語を身につけるだけで、カナダ永住権取得が約束される時に、なぜ、大学を卒業しても、仕事が見つからない地域や将来があるとは思えない無人島のような地域を目的地として選択しなければないかという疑問に対する答えはしっかり出してほしい。

モントリオールで、英語でスキルを身につけて、並行してフランス語も身につけて、カナダ永住権を取得して、人生のオプションを広げるプランを立てることは決して悪いアイデアではないと断言したい。

10年後、20年後、30年後、自分はベストを尽くして精一杯やったという達成感に浸れる瞬間を思って頑張って欲しいと思う。

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Life is just not so pretty sometimes -病院の待合室が見せたカナダ人間模様


とにかく健康、何より健康、今年も年に一回の健康診断に行った。

今回の血液検査には、なぜかいつもとは違うオフィスに近いロケーションのラボを選んだ。

仕事の合間を縫って、案の定、かなり中途半端な時間にラボに着いた。

ラボに入るいなや、ただの偶然なのか、老人ホームに紛れ込んでしまった気がした。

まあ、気にせず受付でチェックインしようとするなり、受付の人から全く礼儀作法を知らないという感じの話し方で、「番号札を取って呼ばれるまで待ってください。」みたいなことを言われて空いているところに座った。

ここまでは取り立てて驚きのないラボの待合室だった。

ところが、ここから40分間、まるでドラマを見ているような出来事が次々と起こった。

空いているところに座るやいなや、車いすを押されてお育ちのよさそうなおじいさんが入ってきた。番号札を取って座った。

するとそれに続いて東洋系のおばあさんが一人で入って来て、受付の女性に一言も言わず、何か紙を渡している。それに対して、受付の女性が”This is no good.”と大声で叫んでいる。おばあさんがちんぷんかんぷんのそぶりを見せるので、もっといらいらして、“You have to get a new one from your doctor.”とさらに叫び続けていた。でも、このおばあさんは言われていることが分からず、ただ無言のまま怒っているようだった。

そして、突然、例のおじいさんが、”Can I watch TV?”と叫ぶ。すかさず、受付の女性が、“Oh, sorry, that is not working.”と答えた。

その傍らに相変わらず黙ったまま、怒った顔をして受付を離れようとしないさっきのおばあさんがいた。

受付の女性はどうしようもなく、何か新しい書類を印刷して、おばあさんは看護師に連れられて検査室に入って行った。

「おばあさんの勝ち!」と声に出でない独り言。

そう思った瞬間に、また例のおじいさんが”Can I watch TV?”

そして、勿論、受付の女性が“I already told you earlier that that’s not working.”

認知症初期と思えるこのおじいさんは、その答えにばつが悪そうに沈黙した。

笑えない認知症の辛さが正直痛いほど伝わってきた。

そこにちょうど入ってきたのが、黒覆面で頭からつま先まで覆い隠した女性とその父親と思われる男性。
黒覆面の女性は具合が悪くなった父親に付き添ってきているのが一目瞭然だった。

トロントなのだから、黒覆面がとりわけ珍しいわけではないのは言うまでもない。ところが、その黒覆面の女性をある白人女性が不服そうにじろじろ見始める。蛇足だが、この女性の隣には仲むつましい男性2人のカップルが座っていて、彼女はこのカップルと仲よさそうに話をしていた。

そして、その女性がじろじろ見ていることに気がついているまた別の白人女性がいた。

“They are going to make a scene.”また声にでない独り言。

それから約15分から20分くらい経った頃だったと思う。まもなく自分の番が来ると思っているところで、案の定、例の白人女性が黒覆面の女性に向かって、切れたように“You know, your outfit is disrespectful to women.”と周りにはっきり聞こえるように叫んだ。

「はあー?」と一瞬目が点になった。

“What planet are you from?”また声に出ない独り言がでた。

すかさず、それをみていたまた別の白人女性が“What is wrong with you!? That is not any of your business.”と黒覆面の女性を弁護するコメントをまた周りにはっきり聞こえるように言い放った。

このドラマの行方は、テレビよりもよっぽどおもしろいと思った瞬間、自分の名前が呼ばれて検査室に向かわされた。

“Oh, no, I don’t want to miss this.”と最後の声のでない独り言。

検査が終わって受付を通った時は、勿論、見過ごしたドラマは既に終わっていた。カナダの高齢化を感じさせる風景は、まるで何も起こらなかったかのように静かな待合室に戻っていた。

駐車場に向かう帰り道、カナダの高齢化、英語を話さない移民、ゲイには優しいのに、中東の女性には厳しい人、差別を許さない人々、連想ゲームのフラッシュバックにbittersweetな感覚が暫く残っていた。

あのラボのあんな小さな空間に、英語を一言も話さない東洋人のおばあさん、認知症のおじいさん、同性愛者を尊重しながら中東の女性のファッションに腹を立てる白人女性、そしてそれをしかりつけるまた別の白人女性がいた。

カナダは、とりわけ、トロントは、以前にも増して様々な価値観が錯綜する社会の中で、国が徐々にアイデンティティを失う姿を不思議と心地よく映し出す。そこに高齢化の波が訪れているのもひしひしと感じられる。

そんな中で、移民の国カナダが誇るべきことはやはり、差別される人達が決して黙ってはいないこと。要求する権利は正当である限り、たとえ時間がかかっても、人々の価値観を正しく修正して、最後にはちゃんと保護されていく。

誤解してほしくないのは、カナダでは差別が許されないと言っても、差別がないわけではない。いや、他の多くの先進国同様、差別したくてしょうがない人はたくさんいる。

でも、カナダが違うのは、偏見によって差別された人達が立ち上がる時に、必ず周りが同様に立ち上がって助けてくれることだ。

問題があれば皆でとことん話し合って解決策を見つける。

これならきっといつか認知症に対する答えも見つけてくれる気がした病院の待合室での40分間だった

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