Did E. Snowden have to do that? -背後で激化するサイバー戦争の脅威


6月9日(日)、元CIA職員のコンピューターテクニシャン、Edward Snowden(29歳)が英ガーディアン紙を通じて米連邦捜査局(FBI)と国家安全保障局(NSA)がインターネット上でアメリカ国民の個人情報を入手していることを暴露した。あからさまな内部告発と言える12分間のビデオインタビューが実名入りでインターネット上に発信された。

一瞬あのウィキリークスのJulian Paul Assangeを思い出す。

そして、その後すぐに、そう言えば、前々日に、シリアの反政府活動家Mohamed al-Hadiがスカイプでアレッポ近くにあるミング空港で反政府側が攻撃を仕掛けた情報を入手直後に、アメリカ側がその内容を盗聴していた事実を知って激怒したというニュースが流れ、また、前日にはイランや北朝鮮からのサイバー攻撃防御のためにアメリカが、関係国のサイバー防御システム構築を援助し始めているニュースが報道されたのを思い出す。

Edward Snowden?

高校中退でCIAのコンピュータテクニシャンとして、年俸20万ドルの給料をもらっていたという。

それにしても、並はずれた能力を持ち合わせているはずの彼がなぜこんな行動に出たのか。

これで、彼はおそらく、自国から訴追を受けて、捕まれば無期懲役。それどころか、周りの家族や、ガールフレンド、友人に与える影響は計り知れない。

ビデオの中で、「米政府がつくりあげたPRISM (NSA’s surveillance program)がプライバシーや基本的自由を侵害していることに自己の良心が耐えられなくなった。」というコメントが流れた。

「真剣に言っているのか?」と思わず声を出してしまう。

Edward Snowdenは一方で、アメリカに損害を与える意図はないと言っておきながら、アメリカが中国のハッキング行為を厳しく糾弾しているところに、アメリカが中国に対してハッキング行為を行っていたことも暴露した。

「この人一体何をしようとしているのか。」と思わず叫んでしまう。

ある程度の集客力を持つウェブサイトを運営している人なら、サイトアクセスに関する分析レポートを見れば、ロシア、中国、イランが世界各国に対してハッキング行為に忙しいのは一目瞭然。そんな中で、自分たちが一番、世界平和は自分たちがコントロールスすると思っているはずのアメリカがハッキングをしていたことに今さら驚くだろうか。

正直、こんなことに驚いて、プライバシーの保護と国家安全のどちらが大事かをディベートすること自体マインド的には遅れている気がする。

今回のEdward Snowdenの内部告発行為は、プライバシーの侵害を問題視した意図は理解できるにしても、結果的には、ただ単に彼自身が世界の問題児的国々に自己の能力をマーケットしているようにしか受け取れない。

それにしても、デジタル社会が生み出したサイバー戦争の現状は、本当に、プライバシーが保護されていないことに腹を立てていられるような段階にあるのか。

このサイバー戦争に勝ち抜くためにアメリカは国民のプラバシーを犠牲にして、かつその犠牲にしている事実をひた隠しにしてきたにちがいない。

どんなにオバマ大統領と習近平国家主席が対談しても、水面下でのサイバー戦争は狐と狸のばかし合い状態。

思えば、911以来、人々は、国家の安全のために、空港でのセキュリティチェックで、ベルトを外させられ、靴を脱がされて、体のあちこちを触られることを受け入れてきた。

つまり、プライバシーの権利は、法的に与えられた権利の1つに過ぎない、但し、その権利を濫用して、テロ行為に出る人間が出てしまっている以上、国家の安全のために、この権利保護に妥協を強いられることについては世界的レベルで暗黙の了解があるように思う。

どう考えても、オバマ大統領がPRISM(NSA’s surveillance program)を悪用しようとしているとは思えない。

プライバシーの侵害があったとしも、侵害された側がそれに気づくことなく、かつ、物理的な損害を受けているわけでもない場合は、プライバシーの侵害の定義がデジタル社会の状況に即した形で、それが許容範囲内であるよう再定義されるべきではないのか。

つまり、Edward Snowdenほどの能力とあれだけの覚悟がある人間が、本当にすべきことは、内部告発に終わることなく、その先にある内部の人間がその権利を濫用できないようなシステムの構築に貢献することではなかったのか。

アメリカからの訴追を免れるはずのないEdward Snowden。アイスランドへの亡命、ロシアあるいは中国が彼を受け入れるのではないか等、噂がメディアを賑わす中で、既に香港立法府のClaudia Moが香港が唱える自由主義は、現実には、日常的に制限を受けていて、政治的チャレンジを強いられているというEdward Snowdenの期待に反するコメントが報道された。

そして、現在、Edward Snowdenは行方をくらましている。

一方でオバマ大統領がプラバシーを100%保護しながら、国家の安全を100%守ることは不可能だと明言している。

もっともだと思う。

日常既にあって当然のように感じているデジタル社会がもたらした便利さの代償は、今後も、間違いなく、隙があれば、その便利さを濫用しようとする国あるは個人よって、あらたな権利侵害の問題を呼び起こすにちがいない。

デジタル社会が生み出した全く新しい価値観に、どんなに拡大、拡張解釈をしても、古ぼけて立ち止まったままの憲法がその答えを出してくれるとは思えない。

やがて、法律がデジタル社会を正当に管理できる時が来るまで、既存の権利を濫用する現象が起こるごとにパッチワーク的に対処していくことしか現実の社会には選択肢が残されていない。

その時に人々に最も求められるのは、あの911を2度と起こしてはいけないという思い。

人の命を第一に考えるために、個人の権利の保護について自ら進んで妥協を受け入れるマインドセット。そして、その妥協によって無実の一般人がいかなる形にしても、妥協の犠牲者にならないようなシステムの構築を政府にしっかり要求していくことではないのか。

今回のEdward Snowdenによる内部告発は、ソーシャルネットーワークの名の下に、ネット上に個人情報を無防備にアップロードしてしまう人達に対しては、ある意味ウェークアップコールになったはずだ。

同時に、水面下で激化の一途をたどるサイバー戦争の脅威に対する世間の認識を高めたにちがいない。

いずれにしても、デジタル社会が従来守られるべきだと考えられていた権利が濫用者によってなし崩し的に保護されなくなる現象は今に始まったことではないはずだ。

そして、言うまでもなく、これで終わったりはしない。

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