Quebec I know… -ケベックワの優しさ

 
カナダは英語とフランス語が共に公用語であるとは言っても、トロントに住んでいるとやはり英語圏の人はフランス語があまり好きじゃないんだと感じることが多い。個人的には、モントリオールがカナダでも一番好きな街なのでちょっと残念な気がする。

自分がケベックが好きな理由は、たくさんあるが、モントリオールの旧市街の美しさとか、ノートルダム大聖堂のせいではない。正直フランス語自体も、カナダの英語の訛りとは対照的に、フランスのフランス語とは似ても似つかない事実は弁護できない。ちょっとかわいそうな気さえする。

でも、昔こんなことがあった。モントリオールでフランス語を勉強し始めてから2カ月ぐらいたった頃だったと思う。あの時は英語が全く話せない友達のジュリアとよくモントリオールでもフランス系の人たちだけが集まるエリアで時間を過ごした。あまりフランス語が上手じゃなかった自分に対して、周りの人たちは本当に親切だったのを覚えている。ジュリアがよく2人でレストランのテーブルがあくのを待っている間に、全く見も知らない人たちと話をし始める。レストランから食べ終わって出てくる人に向かっておいしかったどうかについてまるで友達のように話をする。不思議な気がした。

ある日、何の気なしに2人で入ったカフェで、またこんなことが起こった。ジュリアが自分に何が飲みたいか聞いた。暑い夏の日だった。心の中でそれりゃ、アイスミルクティーなんかがあったらいいかなと思いながらも、でもそんなものはここにはないって思っている自分に、またジュリアが同じ質問をしてくる。あの時はモントリオールにはアイスコーヒーもアイスティーもなかったと思う。リキッドシュガーが未だにトロントでも珍しいぐらいだから無理もない。

そこでまた彼女が聞いてくる。自分も正直に、自分が今本当に飲みたいものはここにはないと答える。すかさず、今度は店の人がジュリアと一緒になって自分に何が飲みたいのか聞いてきた。そこでアイスミルクティーが飲みたいというなり、それを作るのに何が必要なのかを聞いてきた。自分が何故そんなことを聞くのかと言うと。彼らは口を揃えて、こういった。Tout est possible à Montréal. (モントリオールではなんでも可能だ。)

冗談交じりに、紅茶と、砂糖と、アイスとミルクというなり、2分後、テーブルには全てが用意された。このカフェは別に特別なカフェではなかった。うれしかった。過去にイギリスに行った時もアメリカに行った時もこんな人との触れ合いは経験できなかった。

同じ年の秋に、クジラを見にケベックの田舎に旅行した時も、自分の拙いフランス語に人々は信じられないほど親切だった。誇張じゃなく、感動の日々が続いた小旅行だった。

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Facebook? Google? Think twice! -法律が追いつけないデジタル社会

 
今月の初めにFacebookが上場申請した。メディアの情報によればFacebookの会社としての価値は$75-$100ビリオンに相当すると伝えられている。Goolgeも随分前に上場して、大成功している。

彼らのビジネスモデルは何か形のある物を売って利益をあげる商売ではない。だから、経営者の多くが頭を痛める在庫管理みたいなものも存在しない。あくまで広告収入、それもその収入を得るために使われているのは一般の人の個人情報。

去年のFacebookの広告収入は$3.2ビリオン、Googleは36.5ビリオン。スマートなビジネスと言ってしまえばそれまでだが、彼らのビジネスモデルが本当に合法だと言えるのだろうか。

例えば、Facebookのユーザーが自分のページの中で、今度うちの近所の女性みんなで集まってケーキパーティーをするという情報を入れると、突然、近所のケーキ屋さんの情報がそのページに現れる。Googleメールを使って精神的に悩んでいることを友達に相談して、Googleでストレスというキーワードで検索するものなら、精神的な悩みによるストレスを解消する薬やサービスの広告が出てくる。便利な機能だと言う人もいるだろう。

ところが、アメリカでは、移民局が、偽装結婚を見分けるために、オンラインで集められた個人情報をベースにするとか、会社が従業員の雇用を決めるときにオンラインプロファイルをチェックするというのもごく普通になっている。

アメリカのある男性のクレジットカードのクレジットリミットが何の予告もなく$10,000から$3,000に下げられた。理由をクレジットカード会社に確認してみると、「最近あなたが買い物をした店で買い物をする人は多くが支払いに問題を起こしている。」という回答を受けたという。現時点でアメリカではこの情報が誤っていると訴えることは可能でも、その情報を集めた人たちに情報開示を強いる法律は存在しない。

オンライン上で個人情報を気づかれない手段で入手して、様々な角度から分析してマーケティング戦略の一部として使う。本当にこんなことが許されるのだろうか。

無料でメールアドレスが使える、無料でファイルがオンライン上に保存できる、無料でメンバーになって友達を世界中に作れるなどというマーケティング文句に見事に乗せられて、何も考えずに自分をさらけ出している人たち。彼らは無料奉仕していることに気づいてもいない。

インターネットが生み出したデジタル社会の一人歩きは、既存の法律が追いついていけないのをいいことに、他人の個人情報を操ることで、一部のマニピュレーターによって違法とも言える行為が許され、公然と私腹が肥やされる。

インターネット上で行われるデジタル情報のマニピュレーションレベルの促進には際限がない。このペースに一体どうやって法律がついて行くことができるというのか。

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Bashar is just like Hafez… -おそらく、歴史は何度も繰り返す

 
Bashar al-Assad大統領が率いるシリア軍がHomsを砲撃、破壊した。30年前にHafez al-Assadが同様のやり方でHamaを破壊した。Hamaの全域を砲撃するだけでなく、一般市民がまだ家の中にいるのを知りながら、ダイナマイトで爆破した。

戦いに勝つだけでは不十分、相手が二度と自分に立ち向かってくることを考えないような残酷な手口で敵を叩き潰す。Hafez al –Assadは当時、彼に歯向かう者はこうなると思い知らせるために、廃墟化したHamaの焼け跡を車で通ってみるように人々に強く促したという。人間はどんな理由があってもここまで残酷になれるものなのか。

それから30年後、世代が変われば、その残酷さも忘れられる。中東に住む15歳から29歳の若者は1990年の6700万人から、現在その数は1億人にまで増加している。今回の暴動は1つの街の話ではない。シリア全土で政府から約束された仕事、結婚の機会、住居がまったく形になっていないことに対する不満が爆発した。ところが、それをBashar al-Assad大統領はHafez al-Assadと同じやり方で若者たちを制圧しようした。これがきっかけとなって、この暴動は民主化問題からさらに宗派抗争にまで発展してしまった。

シリアでは、少数派で政府、軍隊、国の治安部隊をコントロールしているアラウィ派が全体の12%、スンニ派(シリアのアラブ人)が75%、キリスト教徒が10%、そして、後の残りをドルーズ派やクルド族などで占めている。

Assadと、スンニ派が主導を握る反体制派の抗争で、現政権から恩恵を被っているアラウィ派の7割とスンニ派の一部がAssadの見方についた。これは別に彼らがAssadの独裁政権を支援したいというわけではない。政情が極めて混とんとして中で、最近のエジプトでの暴動を目のあたりにしながら、自国の内乱だけは避けたいという思いから、やむなくAssadサイドについているいというのが実情のようだ。実際には誰もが、もっと民主的な新政権を望んでいる。

まずは国連、ヨーロッパ連合、アラブ、イスラム教の国々が何とか中国、ロシア、イランを見方に引き入れる必要がある。彼らはアメリカからの批判に目を向けたりはしないが、世界からの批判には、耳を貸すはずだ。そして、スンニ派主導の反体制派が、一丸となって、Assadの見方についているアラウィ派とスンニ派に対して、Assad政権から新政権に移行しても彼らの利益が保護されることを保証することで宗派の統一を図ることは可能なはずだ。

こんなシリアの状況を見ながら、またある思いが心をよぎる。世の中の人が助けあうということには決して反対するつもりはない。でも、例えば、全く他人である隣の家の家族が喧嘩しているところに入り込んで、喧嘩してはいけませんというのが、本当に取るべき選択なのだろうか。そんな権利が人間にはあるのだろうか。万人の常識に従えば、大人は自分で人間関係を管理調整することができて当然なのだ。それがもし国家レベルでできないのあれば、おそらく、誰がどんな形で介入しても変わらないような気がする。30年経ってただ単に歴史が繰り返しているだけに過ぎないのではないのか。

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Euro-Zone Faces Consequences -EFSF(欧州金融安定化基金)はATMじゃない?

 
ユーロ圏の経済危機に関する最新情報がニュースで出始めている。今週ポルトガルの経済状況についての発表があった。非常に厳しい模様。ポルトガルはEU( 欧州連合)とIMF(国際通貨基金)の言われるままに、給与の削減、年金の削減、公共支出を抑え、様々な税金の税率を引き上げた。ところが、この緊縮財政策は全くの裏目に出ていると報告されている。景気後退はさらに悪化して、負債はさらに膨れ上がっている。現在、ポルトガルの負債の比率はGDPの107パーセントであるが、来年には118パーセントにまでに達するだろうと発表された。

ドイツのMerkel首相もフランスのSarkozy大統領も本当に、ユーロ圏の重債務を抱える国々が、もう何十年も公共投資なしで、輸出に頼って成功してきたドイツのビジネスモデルを真似して成功できると信じているのだろうか。

勿論、ギリシャが起こしてしまったことは許されないことで、緊縮財政策に対して未だにデモをして何か解決策が見つかるとでも思っている国民性にも言葉を失う。歳出の30%が年金に当てられているイタリアにも同様のことが言える。

だからと言って、緊縮財政策で重債務国の国民が苦しめば、問題が解決するわけでもないはずだ。

つい最近、国際投資家からの圧力でユーロ圏の指導者たちが、市場のポリシーを調整したというのだが、よくよく聞いてみると、国債の元本を20~30%保証するということだ。これで投資家を安心させるというのか? 問題を抱えている側だけでなく、問題を解決しようとしている側もかなり混乱していることがうかがえる。

ギリシャが来月には債務不履行に陥ると見込まれる中、さらなる資金の融資にはゴーサインが出ていない。Merkel首相とSarkozy大統領が一体どのような選択をしようとしているのかが今一つ明確になっていない。ギリシャがEU(欧州連合)からはずされた場合の経済状況も想像を絶する。

いずれにしても、この構造的な問題は、結局はこれらの国々に共通する特有の国民性に起因しているのではないか。どんなに資金を投入しても、その国民性を教育し直さない限り、この問題は解決しないような気がしてならない。

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Immigration should start now or… -望まれる外国人労働者の受け入れ強化

 
以前Shutting out the sunの著者のMichael Zielenzigerのインタビューを見た時に感じたことがあった。人々が結婚しなくなった日本、アメリカでも同様のことが起こっているので、とりわけ東京のような超大都市であれば、めずらしくない社会現象なのかと一瞬理解する。Womb Strikeと言っていたように覚えている。35歳以上で高い教育を受けた日本の女性たちは、昔とは違い、大企業で、マネジメントのポジションで男性と肩を並べて働いている。結婚して子育てを全て押しつけられるような道を選択する時代はもう終わっているようだ。女性が社会の中で男性同等になるというのは応援したい。

ところが、その代償として出生率が低下して、2020年に日本が南フロリダのようになるというのでは問題だ。高齢化が既に進んでいる中で、移民政策が全く軽視されている島国日本は、将来的に労働人口の空洞化が避けられない状況になっている。昨年の地震、津波でまたさらに状況は難しくなっている。日本政府がようやく移民政策に手をつけ始めて、カナダを参考にしているような話を耳にした。日本政府にもっと積極的に移民を受け入れられるインフラを構築してほしい。国民全体が安定を求める気持ちを悪いとは言わない。しかし、どうすれば安定を獲得できるかを考えずに、安定を求めても根本的な解決にはならない。日本が90年代前半に始まった景気後退から本当に脱出してさらに成長するためには、今後の移民政策がもっと重要な鍵になることをもっと認識してほしい。

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Parents, Play Smart! -必要のない苦労はさせない

 
日本社会には、年功序列とか、若者は苦労しなくちゃいけないとか、石の上にも3年とか、若者はとにかくつらい目にあわないといけないみたいな洗脳が昔からあったような気がする。これには賛成しかねる。苦労を全くする必要がないとは言わない。でも必要な苦労と必要のない苦労がちゃんと区別されていない。今でも、「最近の若者は…」などと言っているであれば、議論する余地なし。何の経験がなくてもポテンシャルを持った子供たちはたくさんいる。その子たちのポテンシャルに気づいて、必要のない苦労を避けて、必要なものだけを経験させて、できるだけ時間をかけずに育てることが、既に年をとってしまった人たちに与えられたタスクではないのか。

最近親子留学がトレンドになっていると聞いた。いいアイデアだと思う。大人が英語を身につけるには時間がかかりすぎる。英語には日本語人が聞き取れない音が多すぎること、そして言語習得は暗記で上手くなるものではないからだ。でも子供、とりわけ小学校2,3年生の子供なら、例えば、カナダの小学校で現地の子供と一緒に勉強すれば1カ月くらいで言葉を話し始める。もし経済的余裕があるのであれば、これは絶対に利用するべきだ。1か月で音の壁を越えられるなら留学費も無理する価値はあるはず。勿論、この能力を以後どうやってキープするかは親の力にかかっているのは言うまでもない。

ちなみに、誤解を避けるために、言っておきたいことがある。大昔、英語は白人の言語だとういうイメージがあったと思う。ところが、もうそんな時代は随分前に終わっている。少なくともカナダにはそんなイメージはかけらも残っていない。

カナダではアジアの発展途上国から、移民してきて、ここで生まれて育った子供たちの多くが、見事に成功している。成功のカギは極めて単純。カナダだけではなく、北米の白人の子供たちはあまり努力をしない。日本のように子供たちの多くが学校以外に塾に通って、厳しい受験戦争が存在するわけでもない。正直多くは怠慢でいい加減。でもそれが通用していた時期があった。でも今はその状況が一変している。東洋人の子供たちが、ここで生まれて、白人同様に英語を話せば、日本ほどではないにしても、勤勉に努力をする東洋人がトップに躍り出るのは当然のことだ。実際に、現在、トロントでNo.1の高校はスカーボローにあるほぼ100%東洋人が占める学校だ。

日本人も経済的な余裕さえあれば、同様のことが可能なはずだ。例えば、小学校の頃に子供をトロントに留学させて、音の壁を越えさせて、日本に戻ってしっかり中学まで終わらせる。高校からまたカナダに留学させる。例えば、トロントの東洋人だけのレベルの高い高校を選んで、留学させる。これなら結構スムーズに子供を国際人に育てられる。トロントのトップの東洋人が集まる高校なら、日本の子供たちも周りからちやほやされて悪い気分はしないはずだ。

日本にいてかなりの努力をして、例えば、東大に入ることができても、後から英語を身につけるのはどんなに優秀な人でも苦労するのは目に見えている。以前、森首相とクリントン大統領のジョークをインドでも聞かされたときは他人ごととは言え恥ずかしいと思ったのを思いだす。

子供を留学させるのに親として考えるポイントはいくつかあると思う。なぜカナダ、それもまたなぜトロントかということについてちょっと説明したい。親の立場として子供を海外留学させる時にまず第一に考えるのが、安全。これをクリアするところは正直アメリカを除いてオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、シンガポール、カナダ、どこも似たりよったり。どこも日本レベルの安全性は期待できない。

これらの選択肢の中で、じゃなぜカナダ、しかもトロントかというと、やはり環境、地震がないのは言うまでもないが、例えばニューヨークもトロントと同じように様々な人種が共存している。でも彼らは相互に混ざり合わない。トロントはそこが本当に他の北米の都市と違う。例えば、友達を見るときに外見の属性が目に入ってこない、あくまで相手を人としてのみ認識する感覚は自慢できるはず。カナダ移民政策が成功している理由の一つはまさにここにあるような気がする。どんな理由による差別も許されない街。未だに白人が支配するアメリカのハリウッドのイメージはこの街にはもはや存在しない。

カナダの英語は世界的にみて非常にクリアで分かりやすい。英語を差別するつもりはない、標準語を子供に身につけさせたいのなら、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、アメリカは避けたい。ニューヨークはとりわけ訛りが強いのを知らない人が多いのには驚く。個人的にイギリスのアクセントはおしゃれな感じはするが、自分の子供の将来を考えた時に選択はしないだろう。カナダの英語なら、国際会議でも一番わかりやすい英語であることは保証できる。カナダはフランス語も公用語だから、もっといいと言いたいところだが、残念ながらカナダのフランス語は推奨できない。

トロントを初めて訪れる人の多くは外国に来た感じがしないはずだ。共存する人種の数が多すぎて、典型的なカナダ人の定義が不可能。Identity Crisis (アイデンティティクライシス:典型的なカナダ人あるいは文化の定義が不可能な状態)が指摘される所以はここにある。

逆に言えば、自分が自分らしく生きられる町。自分が自分のままでいることを受け入れてくれる社会。そんな世界がここには本当に存在している。

だから、ここを子供の教育に利用しない手はない。

懸念事項が2つある。

一つは、この20年間の間に乏しい食生活と怠惰なライフスタイルが肥満を深刻な社会問題にまで発展させてしまっている。留学中の子供の食生活をよくモニターする必要がある。

二つ目は、現状、発展途上国からの移民は自国を捨てて、自己の文化を失い、英語という偶然、現時点で国際言語になっている言葉に植民地化されながらも、自国にいたら得られなかった幸せをゲットして満足している。本人が幸せであれば、それでいいと思う反面、かわいそうにと思ってしまう。でもこれがカナダのありのままの姿なのだ。こんなことはつい最近まで世界第2位にあった経済大国日本に起こってはいけない。日本の文化は大切に次世代に継承してほしい。日本人としてのアイデンティティは決して失ってほしくない。

カナダを使って子供たちを苦労せずに国際人することは明らかに可能なのだ。でも日本人としてのアイデンティティを失わない努力が新たなチャレンジとして待ち構えている。

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Survival Instinct - 忘れえぬ瞬間

 
トロントの某日本企業で駐在員として5年働いた後、あの時ちょうどハイテクブームにのってオタワにあるカナダで当時一番大きいPCアプリケーションソフトの会社に転職した。正直、特別キャリアで成功したいなどという思いはなかった。ただ、どんなに海外で働いていると言っても、日本の会社にいる限りは、日本人として手厚く保護されて、自分が本当に北米でどれだけのことができるのかは現実には試すことはできないといつも心のどこかで感じていた。この転職もヘッドハンティングの会社から3年かけて説得されて決めた。外目にはキャリアに賭ける日本人みたいに見えたかもしれない。でも実際は私生活で場所を変えて、全て忘れて、やり直したいという気持ちがあっただけなのだ。ところが、この選択が再び人生を大きく変えてしまった。

転職して初出勤の日、少し緊張しながらオフィスに向かった。本当にきれいなビルだと思ったのを覚えている。ところが、初日、いきなり、自分を雇った上司がその日付で首になったと言われた。新しい上司におまえはなんで雇われたのかと聞かれた。正直、唖然とした。トロントからオタワに引っ越してきて、新たなキャリアのスタートに胸を膨らませているところに、こんなことが起こるとは思わなかった。

雇ってくれた上司が、初日に首になり、2ヶ月後、6か月前から働き始めていた女性で同じチームのメンバーになるはずの担当者が体調を崩して、会社に出てこなくなった。結局彼女はそのまま戻ってこなかった。想像を絶する仕事の厳しさを予感した。

この会社では、社員全員が、最新スペックのウィンドウズのラップトップを持って働いていた。営業部は全員が絶え間なく国内外、出張をし続けていた。このファーストペースの会社には、最初から驚くことばかりだった。国際営業部を除く、国内営業のスタッフは男女ともに、モデル上がりではないかと言えるほど、外見で選らばれているように見えた。カナダは差別が許されないと言われながら、こんなに明確な差別が実際にはまかり通る。オタワの街を歩いてもふつうは見ないような美男美女がオフィスに来ると突然現れる。平気で、兄弟、従兄、親戚が雇われているのにもちょっと唖然。スタートアップ時に雇われたスタッフはほぼ宝くじに当たったのと同じ、数年後、ストックオプションでリタイヤ状態という話を何度も聞かされた。

文化の違いと言ってしまえば、それまでだが、仕事の仕方の違いには最初から圧倒された。勿論、ハイテクの最先端を行く会社であったのは言うまでもないのだが、当時、まだEmail自体あまり日常生活に浸透していない頃だった。毎日ものすごい数のメールとボイスメール、毎日のようにInformation Sessionが行われる。上司とか同僚とかがどうするかを教えてくれたりしない。テリトリーを渡された後は、会社を成長させるために自分でどうしたらいいかを考え、行動に移して結果を出す。大きな会社の中の子会社をまかされる形だ。確かにほとんど全ての裁量権を与えられ、なんでも好きなように進められる。ところが、結果が出なければすぐに首を切られる。正直、何度も土壇場に立たされて、その都度、解決策を自分で模索して、結果を出す。こんな毎日が永遠と続いた5年間だったような気がする。実際、入って1年も経たないうちに、周りに8人いた国際営業部アジアパシフィックディビジョンのメンバーのうち6人が首になった。日本企業でしか働いたことがなかった自分にとって、この現象はものすごい戸惑いを伴う経験だった。一時期、神経性の消化不良に悩まされた時期があったのを思い出す。

入社して3カ月もたたないうちに、初めての新製品の発表会のアレンジを依頼される。前任の担当者が働きすぎから来る過労でダウンしてしまった手前、自分ひとりで全てをハンドルするしかない状態になった。カナダの外務省と連携して日本のカナダ大使館での新製品発表会を計画した。上司からは一言、新製品の発表会、社長がくるから、もし発表会の会場をいっぱいにできなかったら、おまえは首だ。正直この時点で何が起こってももう動じない自分自身に驚いた。

新製品の発表会の1週間前、発表会の日にデモを見せるソフトの内容について説明を受ける。まだアルファ状態のソフトを3つ20分で見せろ。また無理なことを言っていると思いながらも、もう心配したりはしないと思っていた。この時もなぜか、自分はこの嫌がらせのようなタスクを必ずやり遂げられるとうい全く根拠のない自信があった。

発表会当日、20分のデモの終了と同時にソフトがハングった。誰も気がつかなかった。あの瞬間は多分一生忘れないと思う。

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Digital Information losing its value - もう誰も止められない

 
きっと本がなくなる。紙に書かれた情報は価値を失う。18年前に初めてインターネットを使った時にすぐにそう感じた。そうだ、まだあれから20年も経っていないんだ。インターネットのスピードが速まるにつれて、やがて、紙に書かれた情報だけでなく、電話、テレビ、ラジオ全てのメディアがインターネットに置き換えられてしまう。サービスを提供する人とサービスを享受する人の間に立つ人たちは、その享受のプロセスに専門的な知識が必要でない限り、同様にやがてはインターネットに置き換えられる。インターネットを通じてアクセスできる情報は基本的に既に価値を失っている。所有権をクレームすることが従来の法律に照らして正当なことだとしても、現実には保護できない状況になっている。それがなぜなのかをしっかり受け止める必要がある。情報を売買して利益が出る時代は終焉を迎えつつある。

現在仕事を探している人は、まずは職種の将来のあるなしはこれで少しは見当がつくはずだ。未だに空港で働きたいなどと言っている人は、キャリアプランについて根本的に考え直したほうがいい。

これにつながる話が、デジタル情報に対する著作権保護の問題。

例えば、中国にコンピューターのソフトを売ろうとしても、一本しか売れない。コピーして国中に配布する。違法行為、ひどいと思う反面、違法コピーユーザーを全員刑務所に送れるのか。

P2Pを通して子供たちがデジタル化可能なビデオ、オーディオデータ、ソフトウェアプログラムをすべて無料で共有する。これもまた違法行為、ひどいと思う反面、P2Pユーザー全員を罰することが可能なのか。

例えば、iPodに始まる、アップルが起こした技術革新によってソニーが勢いを失った。一時はウォークマンで世界を制覇した彼らの名前もすっかり聞かなくなった。でも世の中の人はこれは素直に受け入れている。技術革新による自然淘汰現象として片づけられている。

それじゃなぜインターネット上にアップロードされた情報に著作権を追求しようとするのか。インターネットという技術革新によって、著作権という今まで価値を認められていた概念に価値がなくなってしまったことをなぜ素直に受け入れることができないのか。

デジタル化されて、インターネット上に1度でもアップロードされた情報に、著作権の保護をクレームするのは道理にかなったことではあっても、その努力は所詮、セキュリティーを追求する人とハッカーのイタチごっこに終わってしまう。

著作権やプライバシーの保護に反対するつもりはない。ただ、もう存在継続が不可能で、価値を失ったものを自分の利益を守るために、無理に存続させよういうのも無意味な話だ。インターネットによるデジタル情報の価値の喪失を否定し続ける人たちはすでにこれからの時代に乗り遅れてしまっていると言えるのではないか。そう思わずにはいられない。

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Just be ready beforehand… – 英語は必ずうまくなる

 
英語はスポーツを身につけるのと同じ、勿論5,6歳の子供なら海外で暮らせば、1ヶ月くらいで身につけることは可能だが、大人はそんなふうには行かない。日本の暗記にフォーカスしすぎの学歴社会の中で、優秀だと思い込んでいる人に限って、海外留学して通じない英語にショックを受ける。まあ、自分の英語がすばらしいと誤解したまま日本に帰る人もいるのでしょうが。
 
言語は英語に限らず、大人でもちゃんとしたコーチについて、基礎を学んで練習すれば、必ずうまくなる。でもそのコーチが実際ほとんど存在しない。英語圏のESLスクールには、日本人の英語が通じないことを気づかせてくれる学校は山ほどあっても、それを直してくれる学校はない。それもそのはず、学習者本人がどうしていいのか全く分かっていないところに、学習者の問題点に関して無知かつ、自分で英語を第2外国語として学習した経験があるわけでもない先生が登場しても、教えられるはずがない。教えてもらいたいことと、教えられることの内容が全くかみ合わないまま無駄な時間がすぎる。英語がうまくならない学習者は真剣に先生たちにどうすればいいのか相談する。ところが、この先生たちは、どうやって直せばいいのかが分からないことを認めずに、声をそろえて、もっと話せばうまくなるの一点張り。これをまたどうすればいいかわからない学習者はそのまま信じてしまうからもう手がつけられない。
 
何カ月経っても通じるようにならない学習者は、先生がよくないから向上しないんだと勝手に思い込み、いい先生の定義も不明なまま、いい先生探しに苦労する。どうしていいかわからない学習者が、どうしていいか分からない先生たちを学歴とESLでどれだけの経験があるかで判断して、いい先生が見つかったと安心する。でも結局結果は同じか、勝手にうまくなったと錯覚する。こんな状況じゃ、2週間で英語がうまくなるなんていう詐欺的なマーケティングがまかり通るのも無理はない。
 
英語を身につけるために海外留学を本当にしたいと思うのなら、日本にいるうちに英語と日本語の音の違いや英語を母国語とする人たちの話し方の特徴について十分認識する必要があるのは言うまでもない。また、実際に留学してからも、海外のESLの先生から、教えてもらうのではなく、先生を使ってあなたがあなたの英語を向上させるために必要なものをゲットするとういマインドで臨まない限り、短期間での向上は望めない。
 
日本で自分の発音には問題ない、周りの外国人の友達が自分の英語を理解してくれるから自分の英語は問題ない、日本航空のフライトアテンダントの英語の発音はきれい、英語は海外に行けば誰でも身につく、などと言っているうちはいつまでたっても通じる英語を海外で身につける基礎ができているとは言えない。

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Definitely Feasible… – 世界に向けて小学校から強さを伸ばす教育

 
小学校の時点から、もっと暗記だけにたよらない、個人の強さに気づける教育方法はないのか。暗記にフォーカスして優劣の差を計る教育方法は既に時代錯誤的アプローチであることは言うまでもない。教育は個人の才能、生まれながらに持った強さを引き出して、それをさらに成長させるそんなふうにあるべきだと私は思う。例えば、芸術性、運動能力、音楽性、ビジネスセンス、あげたらきりがないが、教室で先生の話を聞く教育ではなく、もっとワークショップやシュミレーションワークをふんだんに取り入れて、極めて実践的な教育を子供たちに提供する。優劣をつけるための教育ではなく、人間の強さを最大限に成長させる教育。インターネットのおかげで、地球は以前よりももっと小さくなって、人類が国境を越えて生きる意識が潜在的に高まってきていることはまちがいない。人間の強さを成長させることは長い目で見たときに世界を成長させることにつながるのではないのか。

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